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楽園の涯

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 俺の家は、代々続いている代議士の家系だった。親父も爺さんも叔父達も従兄弟達も、ほとんどが一族揃って皆名門男子校を卒業し、一流大学の法学部を卒業している。大抵親族の秘書を二、三年勤めてから市議会、県議会を経て晴れて国会議員となり政界にデビューするか、在学中に国家公務員試験に受かって、そのまま官僚になるかのどちらかだ。爺さんは後者で、親父は前者だった。
 その習わしをうち破ったのは、俺の知る限り、兄貴ただ一人だけだった。
 幼い頃から医者を目指していたという兄貴は昔から親父と折り合いが悪く、事あるごとに殴り合いに発展するまでの喧嘩をしていた。それが急におさまったのは、兄貴が高校に入ったときだ。
 親父に屈したわけではないことはすぐに解った。それまでと目が、少しも変わらなかったからだ。
 理由はすぐにわかった。それまで気ままで自由に生活していた兄貴は、高校での三年間で力を溜めていたのだと。高校在学中、周りの友人のように部活に精をだすことも恋愛にうつつを抜かすこともなく、与えられた時間を丸々勉強とバイトに費やして、親父に対抗できるだけの力を溜めたのだ。
 それが発覚したのが高校卒業直後だった。兄貴は親父に言われた大学ではなく関西の国立大学を――しかも法学部ではなく医学部を――受験し、合格して奨学金をとり、貯めていた貯金を持って家を出ていったのだ。
 簡潔な連絡は次の日あった。俺には、元気でいるから心配するな、と。そして親父には、出来れば縁を切ってくれ、と。それまでは自分たちの思い通りになっていると思っていた長男の突然の反乱に対し、親父は激怒し、母さんは泣き、爺さんは笑った。
 それ以来、兄貴とは会っていない。俺宛に何度か電話はあったが、今となっては親父も母さんも兄貴などいなかったかのように振る舞っている。そして残った俺に跡を継ぐことを期待し、強要しようとする。
 ……だから、俺は家を出たのだ。


 俺が書類を整理し終えてケースにしまっていると、回転椅子に座ってコーヒーを飲んでいた伊織がこちらを向いた。手に薄い数枚の書類を持っている。
「昼間、お父様と会ってきたわよ」
 ふうん、と気のない返事を俺はした。それを聞いて、少し彼女は首を傾げる。
「気にならない?」
「別に。どうせ話し合ったって、意見が変わる訳じゃない」
 それを聞いてまた可笑しそうに笑うと、伊織はその紙を机の上に置いた。一二〇センチ幅で分厚い板の、その高そうな机の上には、いつ見ても書類ケース以外、大した物が乗っていない。
「確かにそう。悪く言うのは気が引けるけど、正直あまり素敵なお父様じゃないわね」
 書類の方をのぞき見ると、それは俺に関するものらしかった。名前、年齢、所属等々、様々なデータが記してある。
「真鍋家なんて代々代議士や官僚を輩出している名家の、どこからあんな人間が生まれてしまうのかしら」
「家柄が古いからだろ。伝統に雁字搦めにされて、だんだん頭が固くなる」
「そういうものかしらね」
 諦めたような溜息を一つ、伊織がついた。
「で、英二はどうしたいの?」
 書類をすべてケースにしまって、俺はソファに座り込んだ。持ってきていた本を膝の上で広げ、文字を目で追うのでもなく、ぼんやりとそれを眺める。
「別に明確な将来のビジョンがあるわけじゃないけど」
「けど?」
「……少なくとも、政治家や官僚にはなりたくない」
 やりたいことが、全くないわけではなかった。ただ、今のままでは出来ないことが解りきっているだけで。今のままでは、先へ進めないだけで。
「お父様はね、やっぱり跡を継いで欲しいそうよ。学生時代は何をしても構わないから、卒業したら継いで欲しい。そんなことを言ってたわ」
 そこで彼女が小さく鼻で笑うのが聞こえた。
「まったく学習能力がないわね。歩み寄りという言葉を知らないのかしら」
 伊織の声をぼんやりと聞きながら、俺はソファに体を埋めた。スリッパを脱いで、片足を抱える。
「世の中の親って、そういうモン?」
 顔を上げると、彼女は俺の方を見ていた。椅子に深く腰掛け、明るい茶色の髪を揺らして首を傾げる。
「さあ。悪いけど、私にはよくわからないのよね」
「何で?」
「両親、中学生の時に死んでるから」
 予想外の言葉に、俺は瞬間的に腰を上げた。彼女の方を見る。しかし、適当な言葉は見つからなかった。
「そんなすまなそうな顔しないでよ。もう十年以上前の話よ?」
 いつものように柔らかく微笑んで、伊織は続けた。
「それ以来、親族は叔父一人だけで、だから、家族が欲しかったのかもね」
 少しだけ俯いて、そしてすぐに、顔を上げる。
「だから、叔父がこの話を私に持ってきたのかも。私なら、英二を預かるって思ったから」
「俺、家族の代わり?」
 もう一度、膝を抱えて座り直してから訊ねた。少し、拗ねていたかもしれない。
「まあ、家族っていうより、やっぱり保護者の気分かな」
「何だよ、それ」
 彼女はやっぱり上品に笑って、そして、こう言った。
「でもね、英二。人間弱みが出来ると強くなるのよ?」
 それがどういう意味だったのか、当時は解らなかったが、今なら解る気がする。

作品名:楽園の涯 作家名:名村圭