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【小さな幸せ10のお題】「お風呂」

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 風呂のドアの開く音と「天ちゃんには貸してやんなーい」という王子の声が聞こえてきて、光はソファに倒れ込んだ。
 ――いらねえよ。
 と、突っ込む気力さえ削(そ)がれる王子のお子ちゃまっぷりに、光は力尽きる思いで目を閉じた。

 すぐにソファから身を起こした光は、勢いよく煙草を吹かして1本灰にすると、次の1本を口に銜えた。
 風呂場からシャワーの音が聞こえる。
 光はリモコンでテレビのチャンネルを変えながらぼんやりその音を聞いていた。
 ――うーん。
 どうもおかしい。
 さっきから水音に変化がない。
 水の無駄遣いしやがって、何をやってる。
 光は煙草に火をつけないまま立ち上がって風呂場に向かった。
 「松本、何やってる」
 ドア越しに声をかける。
 返事がない。
 「松本」
 光は遠慮も躊躇いもなく風呂のドアを開けた。

 「松本」
 王子は風呂場の床に仰向けに倒れていた。
 胸の上に抱いたシャワーヘッドからは湯が流れ続けている。
 手には例のクレヨン。
 「おいっ、松本」
 光は王子の腕を掴んで引き起こした。
 案じることはない。このお子ちゃまは、これまでにも何度かこうやって気絶するように風呂場で寝てしまった前歴があるのだ。いちいち心配していたのではキリがない。
 光は王子の髪の毛に指を通して、体にも少し触れてみた。――この野郎、まだ洗ってもいないじゃないか。
 「松本!!」
 乱暴に揺さぶってみるが、案の定、起きる気配もない。こんなふうに寝てしまって王子が起きたためしがないのだ。
 「おい、クレヨンで遊ぶんじゃなかったのか?」
 光は王子の手からクレヨンを取って腹に顔を描いてやった。それでも王子はくすぐったそうに身を捩っただけで目を覚ましはしなかった。
 「ったく…」
 このままこいつを放っておけるくらいの針金の神経が欲しい。光は、このマンションのオーナーで彼らの家主、佐々克紀の顔を思い浮かべた。――あいつくらい非道でいられたらこんなにイライラすることもないだろうに。

 それから、光は自分のお人好しを呪いながら服を脱ぎ、王子を抱き上げて浴槽に漬け、よく身体を温めてから髪を洗ってやった。そして、体中にお風呂クレヨンで落書きをし、もちろん顔にもヒゲやら渦巻き模様を書き込んだ。