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キャンバスの中の遊戯

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 一歩ずい、と踏み出したとき、思ったよりも近くから、制止の声が掛かった。
「――二人とも……?」
 この場面に、秋が、部外者がいることは、最早どうでも良いことだった。最も守るべき秘密が第三者の前で暴露されている筈なのに、美幸の頭はそこまで考えが至らない。
 美幸の脳内に記憶されていたよりも、ずっと低い声で、強い力で阻まれて。一瞬にして、何メートルも走ってきたような感覚に陥った。
 脳内を支配している感情は、たったふたつだけ。
 悔しさと――憎らしさ。
 茜に理解されてもらえないこの悔しさが。
 秋がこの絵を完成させてしまった憎らしさが、その時の美幸の全身を支配していたのだ。
「……っ」
 美幸はくるりと身を翻すと、美術室から飛び出す。今あの場に、あれ以上留まっている事は、最早不可能だった。
 衝動のままに走る。走って、走って。
 ――気が付けば彼女は、本来この時間にいる筈の、図書室の前へとやってきていた。
「はあ、はあ、はあ……!」
 誰も通らない図書室の前で弾んだ息を整える。
 そして、やっと息が落ち着いた所で、図書室の扉へと手を掛けた。その行動は、確かに日常へと戻ってきた筈の行動だったが、その間に、大きな亀裂を作ってきてしまった。
 それが、治ることすら、今となっては分からない。
「……何やってんだろ、私」
 訳も無く眦が熱くなって、美幸は自嘲気味に呟いた。そうして、表情を隠すようにしながら、図書室の扉を開けた。
 相変わらず、この学校の図書室は人が少ない。


 美幸は、文庫の棚までいつもの通りに歩いていった。そして、文庫の背表紙に静かに触れる。
 それは、秋が転校してきた日、彼が触れていたものだった。
 そこで、ぴたりと動きを止めた。脳裏に、数日前にクラスメイトから告げられた噂を思い出したからだ。
 今、あの二人はどうしているのだろう。冷静になった所で、茜に対しての自分が放った言葉に、美幸は後悔の念に刈られる。
 窓の外に視線を向けた美幸の耳に、間延びしたチャイムの音が響いてきた。あと五分で本鈴が鳴るのだろう。
 だが美幸の足は、どうしてもクラスへと動かない。
 今、この足でクラスに返って、自分は秋とどんな顔をして合わせれば良いのか。
 何よりもどんな「自分」で授業を受けたらいいのか、分からないのだ。
作品名:キャンバスの中の遊戯 作家名:志水