キャンバスの中の遊戯
そこに、どれだけ自分の意志は混ざっているのだろう。
「難しいね」
横を歩く茜が、美幸の考えを見透かしたかのようにぽつりと呟いた。その時の声音は「美幸」のもので、美幸は僅かに足を緩める。
「……ん?」
茜は、美幸が見つめてきているのに気が付いたのか、こちらを振り返った。二人の間に、沈黙が訪れる。
それは、焦燥と、妬みと。
――私達は互いを交換してさえ、それでも互いの存在に焦がれているのだ。
今まではそれを上手く隠してきた。美幸も、茜も、どうしてもお互いに成りきれない事を分かっていながら、それでも無理矢理キャンバスに色を塗り続けていたのだ。
だが、秋が来てからは、その均衡が少しずつ崩れている気がする。
私達はこんなにも近くにいる筈なのに。
本当の私達で話し合う事をしなくなったのは、いつからなのだろう。
「……何でもない」
美幸はふい、と顔を背けると、歩みを早めた。
――茜は、ついてこなかった。
展覧会までまだ日があると思っていた筈だった。
だが週をまたいでしまえば、展覧会はすぐそこまで迫っていた。
朝の涼しい大気の中を美幸は歩いていく。行きも帰りも、歩道を行き交う人々は必死に歩いているような気がする。ただ朝の方が、強制的に必死を装っているような感覚でもある。
美幸は満員電車とは反対方向の電車に乗り、都会から遠ざかっていく風景を眺めながら、無機質な声が告げる駅で降りた。
そうして駅へと向かう人々の中を逆流し、優雅な構えの校門を踏み越えた。校庭からは、朝練の音が響いてくる。それに反して校舎内は、奇妙な静けさに満ちていた。
そう、まるで昼休みの図書室のような光景なのだ。
ぺたぺたと、廊下を歩く美幸の足音が天井に、そして壁に反響する。いつもとは反対に差してくる光の中を通って、いつものように美術室の扉を開けた。
今まで無意識に動いていた足が、そこで止まる。
秋が、美幸に背を向けて、座っていた。
窓から入る新鮮な光が、柔らかに秋の身体を照らしている。光の加減で秋の絵は見えないのだが、だからこそ、その分彼の姿が浮き上がって見えていた。
一瞬だけ、そこに――天使がいるように見えた。
これを人は美しいと言うのだろうか。扉の音に気が付いたのだろう、秋がくるりと振り返って美幸を見つめ、ふわりと微笑む。
作品名:キャンバスの中の遊戯 作家名:志水