キャンバスの中の遊戯
「あ、美幸だ」
「……忘れ物?」
美幸を見つけて、茜はひとつ微笑む。手の荷物を指差されて、茜はひとつ頷いた。
「そう、ちょっと教室にね。……って、お茶泡立ってるよ?」
「ああ……」
飲まないの、と指摘されて、美幸は右手のお茶を見下ろした。それと一緒に、数分前の記憶も蘇ってきて、思わず眉をしかめてしまう。
「……どうしたの?」
その表情に茜も気が付いたのだろう、不思議そうに尋ねてきた。
「うん、ちょっと……ね。さっき、クラスの子から噂を聞いて」
「……もしかして、三浦君について?」
「……それ、……」
茜の反応に、美幸は右手に下ろしていた視線を動かした。茜の表情は、今の美幸と同じ、どこか曇っているものだった。
「茜も聞いたの?」
「うん、……さっき聞いた」
(三浦君って、年子のお姉さんがいるんだけど、その……お姉さんとの近親相姦が見つかって、ここに転校させられた、ってもっぱらの噂なんだって)
「……どう思う?」
美幸の問いに、茜は珍しく黙ったまま、首を横に振ったきりだった。普段なら直ぐに思った事を口に出す茜にしても、確かに憚られる事なのだ。
美幸はゆっくりと、その噂について考えを巡らせていた。
それはただの単なる噂なのだ。
別に秋が姉を愛していたって、それが私達に何か関わる訳では無い。ただ秋が、自分達の身近にいる存在になりつつあるから、驚いているだけなのだ。そして彼が、限りなく中性に近い存在でもあるから、余計にその差が激しくて驚いているのだ。
けれども、ただの噂の筈なのに気になるのは、あの絵のせいなのだろう。
美幸の脳裏に、何枚もひとりの女性が描かれていた、秋のクロッキー帳が浮かび上がっていた。おそらく茜も煮え切らない表情を浮かべているのは、あのクロッキー帳があるからなのだろう。
それは普通の、対して絵に執着心が無い人が見たならば、普通の女性の絵に見えたのかもしれない。
ただあの時。
美幸の目には、それは、確実に、強い感情を持って描かれていたように映っていた。
あの、女の子といる方がしっくりくる秋からは到底見受けられない感情。
激しく誰かを愛していた、ひとりの男としての感情だったのだ――。
茜が、たん、と音を立てて階段を上りきる。その音に、美幸は我に返って茜を見た。
「ひとまず、戻ろうか」
作品名:キャンバスの中の遊戯 作家名:志水