キャンバスの中の遊戯
彼のその声音に、肩が大きく、震えそうになった。
「――へえ、二人を?」
確かにこの二人は、描きがいのある二人だよな、と先生はやたら感心していた。そうしながら、美幸と茜を交互に見つめる。
「ええ。俺、二人に初めて会ったときから、何かを感じていて。二人が許してくれるのならば、是非二人を描いてみたいんです」
その時、はっきりと美幸の背筋が凍りついたのを覚えている。少しずつ感じていた何かが、その時、はっきりしたのだ。
秋は、私達の持つ秘密に気がついている。
何故か、その時、それがはっきりと分かった。秋の、穏やかな視線を受けながら、美幸はその時、どうしようもなくその部屋を飛び出したくなったのだ。
茜はこの秘密に気がついたのだろうか。美幸は不自然にならないように茜へと視線を向けた。
「ええ? 私達をモデルにするの?」
照れるな、と茜は嬉しそうな笑顔を見せていた。不自然なまでの自然さで。
きっと茜も気がついているのだ、美幸はその表情を見て、ただそう感じた。
そして、今の二人にはどうしようも出来ないことも。
そうして三人は、奇妙に濃密な時間を経て、それぞれの絵の制作へと取り掛かった。秋は先生に呼ばれて準備室へと姿を消し、美幸と茜は、現在制作している絵に取り掛かる。
そうして二人はようやく、いつもの時間を取り戻したのだった。
道路に視線を落とすと、薄っすらと自分にくっついてくる影が見える。美幸と茜以外、誰もいる事の無い歩道。道路には様々な種類の車がひっきりなしに通り過ぎて、彼女達のスカートを揺らしていく。
鼻を通り過ぎるのは、僅かに排気ガスの混ざった、初夏の匂いだ。
「……とんでもない人が来ちゃったね」
「うん……」
茜の言葉に、美幸は小さく頷く。前を向く茜の横顔には、はっきりと、困ったような、泣いているような、そんな表情が浮かんでいた。
僅かに視線を上げれば、空が見える。強烈な赤い色と、青い色が交じり合った、反対側の空とは正反対の空。
穏やかな薄い水色と、じわじわとにじり寄ってくる闇色のコントラスト。まるでその透明さは、秋に似ていると思った。
だが穏やかな色が、ただそれだけでは無い事を二人は知っている。
美幸と茜の世界に、乱暴なまでに溶け込んで来た秋は、あくまで穏やかな表情だったのだ。
作品名:キャンバスの中の遊戯 作家名:志水