さよなら、赤川先生
赤川先生の終わらない旅
「きさらぎくーん」
と先生が庭の方から僕の名を呼んだ。
「如月くん、ちょっと」
「はい」
と僕は声を張り上げた。
「今行きます」
台所で天ぷらを揚げていた僕はまずコンロの火を止めて、濡れた手をエプロンで拭きながら「コ」の字の廊下を走る。古くて大きな家だから廊下が長くて、前庭に面した縁側まで五十メートルは走らなければならない。僕が息を弾ませて縁側まで行くと、前庭の陽射しと草いきれの中で先生はゴルフの素振り練習をしていた。
「どうしたんですか」
僕が訊くと、先生は着ていたピンクのポロシャツを引っぱって僕に見せ付けた。僕は思わずシャツではなくて先生の指を見てしまい、結構きれいに治ったな、などと思った。
「これ、どうかな」
と先生が言った。
「どう、というと?」
「明日のコンペに着ていこうかと思うんだけど、どうかな」
「あのねえ先生」
と僕は呆れて言った。こういったミスを、先生はよくしでかす。
「明日着ていくつもりのものを今着ちゃってどうするんですか」
「いやあ、だってほら、俺ってカタチから入るタイプじゃない」
僕はため息を吐く。
「今から洗っても乾きませんからね」
ちょっときつい調子で抗議すると、先生は悪びれる様子もなく無邪気に答える。
「いいよいいよ。このまま着て行くから」
そういう先生の脇の下は汗で濡れて色が変わっていた。
「だ、め、で、す」
「そうか……せっかく昨日西友で買ってきたのになあ」
「その前に買ってきた紫のがあるでしょう。それにしたらどうですか」
「ちぇっ」
中年も良いところに差し掛かった男の着るポロシャツがピンクでも紫でも、世間の見る目は同じようなものに違いなかった。でもあまりにひどいとき意外、僕から先生に何か批判的にアドバイスするということは無い。こうして側にいる間くらい好きなようにさせてあげたいのだ。これが先生にとっていいことなのかどうか分からないけれど、そこはまあ、先生を思う僕の一種の甘さだ。
「それじゃ僕はもう行きますからね。天ぷら揚げてる最中なんです」
僕はすっかり機嫌を損ねてしまった先生に向かって、白々しくそう言った。すると案の定、先生は食いついてきた。
「あ、今日天ぷらなの? やったあ!」
僕は内心にんまりする。先生のこういう顔を見るのが、僕の閉じた生活の中では大きな楽しみなのだ。
「好物ですもんね。しめじも、しその葉もありますからお楽しみに」
そう言って僕は歩き出した。
「あ、如月くん」
呼び止められて振り向くと、先生は申し訳なさそうに訊いてきた。
「ビールあるかな?」
先生はたしか先週から禁酒を宣言していたはずだったが、僕は何でもないことのように肩をすくめた。
「ハイネケンでしょ。もちろんありますよ」
いやっほう、とだらしなく笑う先生を、しょうがない人だなあ、と眺めていた。僕はやっぱり甘いんだろう。
これまで何の説明もなく呼んできたけれど、、「先生」とはあの著名な小説家、偉大なる赤川先生だ。それ以上の説明は必要ないと思う。
ちなみに僕は赤川先生と二人でこの屋敷に住んで、彼の身の回りの世話を請け負っている。出版社との交渉や連絡なんかも、みんな僕の仕事だ。どういう縁で僕が先生と暮らしているかというと、僕もうまくは説明できない。高校の卒業式はたしか実家から通ったけれど、大学の入学式はこの屋敷から出掛けていった記憶がある。その四年後、大学を卒業しても就職せず、結局ここに居着いてしまったのだ。もちろん、そうなった理由のひとつには僕の深く深い先生へのリスペクトがある。
Q.2) Q.1で「好きな作家がいる」と答えた方はその名前を挙げて下さい。
こんなふうに訊かれたら僕は一瞬の迷いもなく赤川先生の名前を挙げるし、「20世紀で最も偉大な小説家は誰か?」なんていう文学論議においても、僕は断固として赤川先生の偉業を主張して引かない。こんな僕を理解する人間は少ないけれど(そもそも理解しようとする奴がまずいない)、大体にして先生は世間であまりにもひどい扱いを受けているように僕は思うのだ。
先生は毎年千五百作近くの小説を書き、それらは全て出版され、この国の至る所に満ち満ちている。然るべき機関の調査によれば全国における先生の認識率は九十九・九八%を越え、なんと識字率を上回っていた。小学校二年生のまさるくんが母方のおばあちゃんに買ってもらったコイズミ学習デスクの本棚から、順天堂大学付属病院に入院中で「今週末が峠でしょう」と担当医が家族に告げたご長寿の竹井さん(百二歳)のベッドサイドまで、本当にあらゆる所に先生の著書は溢れているのだ。空気のように、愛のように。(あるいは『愛』そのものなのかも知れない)。最近じゃマイナスイオンを発生させる家電が流行りのようだけれど、先生はまさにそんな感じだ。嫌味に唇の端を上げながら、先生の小説を「大量生産品」だとか「ページの下半分がメモ帳」だとかいう輩は後を絶たないが、僕はいつもそいつらを問いつめてやりたくなる。それじゃあ君たちは「ページにぎっしり詰まったマイナスイオン」とか「『数より質』の重厚でハイセンスなマイナスイオン」を求めているのかい、と。
ただ、「ブックカバーに印刷してある著者近影を外すべきだ」という主張には僕も賛成せざるを得ない。竹之内豊や反町隆史と先生の容姿を較べれば月とすっぽん、というより、アンドロメダ星雲とうんこ、くらいの開きがある。でも心配はいらない。マイナスイオンに顔は必要ないのだ(なんて、本人に聞かせたら絶対グーで殴られるだろうけど)。
夕食を終えた後、僕と先生は、暗くなるのを待って花火大会へ出掛けた。
「先生、今夜は花火大会があるそうなんですけど、明日に差し支えなければ行きませんか?」
と誘ったら、
「うん。行く」
と先生はろくに考えもせず即答した。自治体が港でやる小規模のものだからそんなに期待は出来ないはずだけど、先生はこういうイベントが無条件に好きなのだ。
港へ向かう道の歩道は人でごった返していて、まさに芋洗い状態だった。ときどき前方の空で打ち上げ花火が弾けて、あちこちで「たまやー」とか「かぎやー」と声が上がる。
人の波はなかなか前に進まなかった。
「これじゃ、港に着く前に終わっちゃいますね」
僕はそろそろいらいらしてきていて、口を尖らせながら言った。
「うーん、そうだなあ。まあ、いいよ。花火はこうして見えるわけだし」
先生はへらへらとそう言う。寛大さという点に関しては、僕は到底この人には敵わない。
「……まあ、それもそうですかね。ただこの暑さだけは何とかして欲しいですけど」
「ああ、本当暑いよね」
出したばかりの浴衣を着た先生がうちわを扇ぐと、タンスにゴンの臭いが僕の鼻まで漂ってきた。
「先生、それ似合ってますよ」
と僕は言った。お世辞ではなく本心だ。
「ん?」
「浴衣です」
「ああ。ありがと」