星の降る夜
2
星の海が一面に広がる闇の中。
普段はまったく音のない空間だというのに、このごろはこどもがはしゃぎまわる声が、よく響く。
つきせとけいがが、星の海の中を走り回って転げまわって、一晩中さわいで遊んでいるのだ。
けいがはこのごろ、つきせの秘密の技でほんの少しだけ魂の一部を取り出して、自由な時を与えてもらっていた。
これが、つきせとけいがの楽しみだった。
ここでならけいがはどんなに走り回っても怒られる心配はなかった。
やりたいことを好きなだけやれた。
つきせも、そんな自由なけいがを見ていられることがうれしかった。
この一時だけが、けいがだけでなくつきせのことも、普段の嫌なことから解放してくれているようで。
たとえそれが長くは続かない幻だとしても、二人ともそれでいいと思っていた。
ふと、そのときけいがをを追いかけていたつきせは足を止めた。
遊んでいて気付かなかったが、いつのまにか東の空が明るくなってきていた。
一時の幻想の終わりを告げる太陽が、もうすぐ現れる。
はしゃいでいたけいがも、つきせが追ってこないことに気が付いて立ち止まり、その光を見つけた。
「そっか、もう夜明けなんだ」
落胆するけいがの声を背後に聞きながら、つきせは地平線に現れた一筋の光をじっと見つめる。
「しゃーねぇ、帰るか」
なごりおしいと言いつつも、けいがは仕方ないと苦笑する。
つきせはけいがを見ることができないまま、ぎこちなく彼を振り返った。
先ほど先延ばしにしたのだから、今こそけいがの星を狩らなければならない。
本当のことを言うなら、一番最初にけいがの魂を分離させてこの星の海に連れてきたのは、星を狩りやすくするためだった。
この星の海に連れてきて、本人が気付かないうちに肉体とのつなぎ目を狩る。
そうすることで、少しでも最期に苦しみの叫びを上げなくてもいいようにと思ったからだ。
だが、それは逆につきせにけいがの星を狩ることをためらわせた。
この場に来てけいがが楽しそうにはしゃぎまわる姿を見たら、その思いを壊すようなことができなくなった。
今日もそうだった。
あとで必ずと思っていたのに、いざとなるとつきせの決意よりもけいがの笑顔の方が勝ろうとする。
「つきせ、俺もう行かなきゃ」
けいががこの星の海から去ろうと、踵を返す。
「あ、待って、けいが!」
思わずつきせは呼び止めていた。
今日はどうしても狩らなければならなかった。
今日、つきせがこの星の海を出るときに必ず狩ってくると約束したのだ。
その約束をやぶるわけにはいかない。
けいがが首を傾げて振り返る。
「どうしたんだ?」
「ごめんね」
つきせは顔を伏せた。
指先は震える。
けいがは、突然謝るつきせにますます眉を寄せた。
「どうしたんだよ、つきせ?」
そう、けいがはつきせに歩み寄ろうとする。
「来ないで!」
つきせはけいがに突きつける。
手にしていた大きな鎌を。
けいがは突きつけられた瞬間、目を見開いて立ち尽くした。
鎌の刃が星たちの光を受け、きらめく。
「ごめん、ごめんね」
ほとんど泣きじゃくりながら、つきせは繰り返した。
本当はこんなことをしたいわけじゃない。
でも、つきせがした約束。
星の住人の神とも言える星使いの命令は、絶対だった。
つきせは顔を上げずに鎌だけ掲げたまま、一歩けいがに近づいた。
「つきせ……」
けいががつきせの名を呼ぶ。
それにきつく目を閉ざして、また一歩つきせはけいがに近づく。
より一層、震えを増しながら。
「いいよ、つきせ。俺、お前にだったらいい」
耳に飛び込んできた台詞に、つきせは弾けた。
けいががつきせに向かって腕を広げ、つきせの前に自ら歩み出て、微笑む。
「さあ」
つきせの腕が震える。
肩が震える。
全身が震えて、掲げた大鎌が重い。
「もう嫌なんだ」
けいがが言った。
「毎日毎日、病院の真っ白なベッドの中でさ」
どこへもいけない。
普通に遊ぶこともできない。
けいがが叫ぶ。
「何もできないんだぜ? 何も……」
けいがの目に涙が浮かぶ。
透明な、透明すぎる涙が、彼の白い頬を伝う。
普段はつきせと反対で、決して泣くことなどないはずのけいがが、つきせの前で泣いていた。
「もうヤなんだよぉ……。俺は自由になりたい……。こんなにせものの自由じゃなくって、本当の自由がほしいんだよ……」
泣き崩れ、けいがは星の海にひざをつく。
死にたいと笑って言うことはあっても、決して弱音なんて吐かないけいがが。
鎌を掲げる手が震える。
震えて動かない。
どうすればいいのだろう?
自分はいったい、どうすればいい?
――僕が、けいがの願いを叶えてあげなきゃ
どうして?
――けいがが苦しんでる
怖いんじゃないの?
――怖いけど、でもけいがの方がずっと苦しいはずだから!
けいが、死んじゃうよ?
「……っ! やっぱり僕にはできないよ!」
その叫び声は星の海一帯に響いた。
掲げていた鎌は力なく下ろされ、つきせはその場に泣き崩れる。
「僕には……、できないよ……」
か細く繰り返される言葉は、ただそれだけ。
けいがはそんなつきせの姿を見て、今まで星の海に崩れていた膝をもう一度立ち上がらせた。
先ほどまでは弱音を吐いていたというのに、今はもうそんな姿は見せないで。
無言のまま彼は、また泣き出してしまったつきせのもとに歩みより、その小さな手のひらを差し伸べる。
「泣くなよ」
ほら、と、つきせはいつものように差し伸べられた手を見上げた。
「いいよもう。俺だってお前を泣かせたいわけじゃないんだ」
だからもういいんだと、けいがはなかなか立ち上がらないつきせの手を取り、立ち上がらせる。
「行こうぜ? もう朝だ。帰らなきゃ」
な、と笑うううけいがの顔は、どことなくいつもよりも暗い。つきせはそんなけいがの姿を見れなくて。うつむいたまま。
けいがも、笑ってはいるものの、つきせの顔をあまり見ようとはしなかった。
「じゃあな、つきせ。また明日」
また明日。
その暗い響きに、つきせは唇を噛みしめた。
何も言えないまま、けいがの姿は朝日の光に透けていく。
けいがが現実に戻っていく。
やがてけいがの姿は星の海から完全に消えてなくなった。
そしてつきせはまた、泣いた。