竹草少女
だからこそ彼は「ニヒルな男は嫌いだ」と述べたし、今自分を前にして完全に理解を拒絶する少女を前にして、はらわたが煮えくり返る程の苛立ちを感じているのだった。
(どーせ俺達は接触して生きていかにゃならんのだぜ?)
ならば気に入らない他人も、気に入る他人も、最後は認めるしかない。自分の中で何となく気に入らないなと思っても、その他者を自分の中でどうにか認めるには、やはり相手の事を自分の中で整理するために“知っておく”しかないのだ。感情と理屈というのはそうそう切っておけるものでもないのだから、ならばやはりどこかで感情的に理解しておく事が要になる。
しかしその感情的理解を最初から拒絶しているような主体に対しては、これは聡雅のようなスタイルではどうしようもない存在なのだった。
このはたから見る者は苦笑しかできないような関係の二人が最初に出会ったのは、聡雅が“種”に出会ったすぐ後―――連休後すぐにまで遡る。