竹草少女
「主(ラビ)は別の事で忙しいのです。“使い魔(オキュペー)”たる私が代理を務めよと仰せつかりました」
「ふん」
(どう見ても確認なんて生易しいもんじゃない雰囲気だったがな)
鼻を鳴らしながら聡雅が案山子を身に収めていく。
少女の方は既にヘビの跡形もなく、ただこちらをねめつけるように見ている。
「…お前は俺の何が気に入らないわけ」
鬱陶しそうに聡雅は言うが、錦はそっぽを向いてしまう。
(ガキが)
それを見た彼の額に青筋が浮き上がる。
聡雅もまたこの少女の事が気に入らないのだった。
何となく好きになれない人物というのは明確に存在する―――しかもその上で理由も分からず相手が自分の前でひたすら不機嫌な顔をするならなおさらであった。
自分が気に入らない理由なら、自分の中で咀嚼納得もできる。だが―――
(一方的に嫌われてたら好きになる事もできねえだろうが)
「あー面倒くせえなぁ」
聡雅はあえて声に出して嘆息する。錦を刺激すると分かっていても、彼は呟かざるを得ない。
案の定少女の方は「それはこちらの台詞だ」と言わんばかりに瞳孔を開いてこちらを見てくる。
(クソが…)
彼はこういう事が嫌いであった。
人は互いを理解しあうように出来ている。
そうでなければ生きることそのものに支障が出るからだ。
その事実や現実に対してどう思おうと、それそのものはひっくり返す事の出来ない真理である。
ビルから落ちれば人は死ぬ。
それに対して「飛べたらいいのにな」と思っても、その現実は変わることは無い。
どう足掻いても他者の存在というのはどこかで自分も認めなければならないし、同時に相手にも認めてもらわなければならないのだ。
他者と自分が理解しあう―――その言葉を定義するとき、特に感情的な部分での理解という概念は不可欠であり、常に他者の存在というのは誰かに認められ、誰かを認めるということの連鎖で成り立っている―――これが聡雅のコミュニケーションやヒューマン・ソーシャルライフについての理解であり、これが行えるか行えないか、厳密に言えばこの必要性を、意識にせよ無意識にせよ理解し行動しているかいないかが彼の人間に対する評価へと直結しているのだった。