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夢と飛行機と嘘をいくつか

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「探すのは大変だぞ」
 ナベさんがにやりと笑ったんだった。何故なら、数年に渡って無計画に物を放り込み続けた押入れは、心なしか膨張して見えて、今にも爆発しそうだったから。
 確か押し入れの整理、残りはまた来年ということになったんだよなぁ、とぼんやり思う。
 結局、リョウジ君の写真は出て来なかった。
「え?」
 背筋に電撃が走る。数学の試験、三問目で散々行き詰まった後に感じたのと同じ感覚。
 あれほど俺の写真があったのに、一枚たりとも、リョウジ君とのショットは無かった。
 飛行機に乗って北極探検。
 あの人は、紙飛行機を飛ばしながら煙草を吸って。
 俺とリョウジ君は学年で数えると年の差十五歳。
 世界の何処かで俺を心配しているのは。
 父親がいた方がいいか?と。
 そして「パパ」。
 おかしいか?早計だろうか?しかし、他に解釈できるのか?
 少ない証拠が示している、一つの事実が見えた。これ以上も無く、クリアだった。
 そして同時に、あまりに腹立たしい結論だった。
 俺は、目を瞑り、頭を抱えた。叫びたかったが、声は出なかった・・・。

 リョウジ君が帰ってきたのは、夜の九時を回った辺りだった。
「結構早いじゃん」
「九時は早くねぇって」
 何気なく言うと、げんなり、という感じでリョウジ君が言い返した。リョウジ君から煙草の匂いが、ふわっと漂ってくる。
「ヤニ臭いぞ」
 俺が眉をひそめると、リョウジ君は苦笑した。
「更衣室で吸いやがる馬鹿がいてさ。叩き出したけど、遅かった。白衣もやばいかもなぁ」
 そう来るか。俺は、努めて表情を変えないようにした。リョウジ君は、コーヒーを煎れてパソコンと医学書を開いて、いつものお仕事モードに入り始めている。
「今日は日勤だったんだろ?」
「あぁ」
 何を今更、というような響きで返事が返ってくる。
 俺は、パンチを放った。実際には、簡単な疑問文で。
「仕事中に、私服でファミレスで何してたんだ?待ち合わせ?友達?彼女?」
 リョウジ君が凍った。ぎしぎしという音が聞こえてきそうなほどぎこちなく、俺のほうを向く。顔には、珍しいほど下手な出来損ないの笑み。
「何を・・・」
 俺は手を振った。
「別に、辻褄の合う嘘を用意してほしい訳じゃねぇよ」
 ただ、答えてほしい。嘘をついてまで俺に隠しているものを見せてほしい。
「見てたのか?」
 頷く。リョウジ君の溜め息。
「言いたくないな」
 それを聞いて、俺の中で何かが弾けた。いや、ぷっつん、キレたのか。
「何を?」
「え?」
「何を隠したいんだよ?俺には内緒で煙草吸ってる事?それとも、実はでっかいガキがいるんだけど、いくら何でもアレだから甥っ子って事にしてあるって事?」
 今度こそ、リョウジ君の顔色が変わった。
「何言ってるんだよ、シン?意味が分かんねぇよ」
 俺を宥めるらしい言葉は、しかし火に油だった。言葉の激流が、俺の口をついて出る。
「そりゃさ、十五で、子供が出来たら、隠すよな、普通。良い嘘だったと思うぞ。まさか、本当の事を話してくれた叔父さんが父親なんて思わねぇし。息子って事になると、邪魔さは今の数百倍だもんな。女の子だって寄って来ないかもしれねぇし。その辺は別に全然、しょうがないと思う。怒ってねぇから」
「シン」
 リョウジ君が口を開いた。
「お前、大丈夫か?」
 俺はリョウジ君を睨む。目を逸らしたら負けだと思った。
「思い出したんだ」
 いくら隠されたって、思い出した。
「リョウジ君は、俺が小さかったから忘れてると思ってるけど、俺は、覚えてたよ。俺は、煙草吸ってるリョウジ君をパパと呼んでた」
 俺は、その後からリョウジ君が俺に、記憶が残る年齢になる前に、リョウ兄と呼ぶように仕込んだんだと踏んでいる。煙草は、禁煙したんだろうけど、昔吸ってたのが再発して、でも俺が嫌がると思って、隠れて吸っていたのだろう。そういえば、と思い出される、煙草の匂いにまみれてリョウジ君が帰ってきた夜の数々。
「・・・んだよ。はっきり邪魔者扱いしてくれればいいじゃねぇか。わざわざいくつも嘘つかなくたって良い。中途半端に気遣われると迷惑なんだ」
 邪魔だったんだろう?と俺は言った。子供の母親はどうなったか知らないが。だから、俺と撮ってる写真もないんだろう?と心の中で付け足す。いくら誤魔化しても、写真は真実を写す。そこには、紛れもない親父と息子がいただろうから。事実と推測が、激情を駆り立てた。
 天啓が下ったとも言えそうなあの瞬間が脳裏を過ぎる。全部、辻褄が合ったと思った。それは、何だか濁った現実で、信じたくなかったけど、もうどうしようもなかった。
 リョウジ君は黙っていた。
 そして、俺は、鍋をした夜にリョウジ君が言った事を思い出した。俺が、人生の最初を二人に望まれてスタートした、と。最初はそうだったかもな、と俺は思う。でも多分、すぐにそうじゃなくなったんだ。どれもこれも、何て見事な嘘だろう。リョウジ君だけじゃない。ナベさんもジュンコさんも、息子の人生を守るために、嘘をついた。孫よりは、息子の方が大切だからだ。それが血というものだと、俺は思う。
「言いたい事は、それだけなのか?」
 しばらくして、リョウジ君が静かに言った。冷たささえ感じる言葉を浴びて、俺は少し冷め、そして落ち込み始めた。しかし、ここでそれを見せたら駄目だ。まだ、目を逸らしてはいけない。震える心を鞭打って、リョウジ君の深い色の目から放たれる視線を、真正面で受けた。
「否定しないんだ?」
「俺が訊いてるんだ」
 頑固な口調と、いつもの悪戯っ気も先ほどの動揺も無い、静かな表情だった。
「そうだよ」
 俺が頷く。すると、リョウジ君は、右手の平を俺に向けた。その手が、パクパクと二回動く。アメリカか何処かの「さようなら」の動き。
「なら、寝ろ。明日も試験だろ」
 それが答えか。
 俺は、参考書類を抱えて寝室に入り、そこで勉強した。勉強が手につかなかったのを疲れたと言い換えて布団に潜り込み、眠ろうとした。目を瞑ってから少し経った時、隣の部屋でリョウジ君の携帯がよくあるメロディを奏で始め、遅れてリョウジ君が短く鋭く応対する声が聞こえた。電話が終わってすぐ、リョウジ君が家を出る音がした。
 扉が閉まる音を聞いた後で、ほんの少し涙が流れそうになったので、無理矢理に欠伸をするように口を大きく開けて深呼吸して、そんな自分を嘲笑ってやった。

 その次の朝、リョウジ君はいなかった。
 ほぼ毎朝行っている朝のムダ話が無い事が、少し寂しく、なのに俺はほっとしていた。
 試験三日目は散々だった。昨夜のリョウジ君との対決のせいで、いつもの俺の試験対策時間より三割引の勉強だったからかもしれない。
 そうだ、問題は時間だったんだ。俺は思い込もうとした。リョウジ君が俺の生物学的父親だという発見が、俺に影響を及ぼしたとはあまり信じたくなかった。
 昼にはメールが入った。
『当直入った。今夜は帰らない。明日も試験頑張れ』
 リョウジ君のシンプルなメールは、いつも通りなのに、ひどくそっけなく感じた。