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夢と飛行機と嘘をいくつか

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「何かさぁ、良いじゃん。飛行機。人が操縦してるのに、堂々としてて。悩みなんかないっつーか、むしろ見てると、自分の悩みとか悪行とか、全部どうでもいいような感じがしてさ。そういう重いもんを羽に乗っけて、何処か遠くに運んで行ってくれそうじゃん」
「はぁ」
 アミさんが、分かったような分からないような、というような音を口にして、
「海が好きって言ってる友達も、似たような事言ってたよ」
と言うと、リョウジ君は視線をアミさんに遣ってから、首を横に振った。
「海は、沈むとかサメに食われるとか、そういうイメージだろ。空は、無限大だ。悩みを押し付けるからには、そのスペースは広くないと」
 俺は、何となく共感できた。多分それは、リョウジ君に洗脳されて生きてきたからだろうけど。リョウジ君の「理由」は、理性的にはやっぱりよく分からない。でも、好きである理由なんて「好きだから」じゃ駄目なのか?とも思った。
 アミさんが、諦めたように肩をすくめて、聞いたあたしが馬鹿だった、と言った。
 それから三人で、何となくくすりと笑った。
 アミさんが大きく伸びをする。
「じゃ、そろそろホントに帰るわ。またね、シン君」
「んじゃ、俺、アミを家まで送っていく。シン、すぐ帰るから」
 アミさん宅はうちから徒歩十分、らしい。俺は礼儀として、ニヤついて訊いてやる。
「え、今夜帰って来るのか?泊まんねぇの?」
 リョウジ君の拳が俺の胃辺りにヒットする。アミさんが笑い転げて、おやすみと言った。
 いつまでもふざけあって歩く二人の後姿を見送るのは程ほどにして、俺は部屋に戻る。宿題なし。予習は・・・今日はパス。まだ貯金はある筈だ。・・・が、宿題がなくても予習をする必要がなくても、今はテスト前準備期間なのだ。俺はどちらかといえば真面目に勉強する方で、部活も休みになったとすると、やはり試験勉強はすべきかな、と思った。二年生の二学期。俺の学校は進学校だから、どんなにのんびりしている奴でも、そろそろ受験を意識し始める。
 シャワーを浴びて眠気を追い払った頭で、寝室から参考書を出してテーブルに向かった。積分を何問か解いた所で、少し前までそこにいたアミさんとリョウジ君の像が脳に浮かぶ。
 リョウジ君も、もう三十二歳だ。結婚、とかしなくて良いんだろうか。というか、俺が住み着いてちゃ結婚なんか出来ないのか。そりゃまずいよなぁ。ナベさんとジュンコさんも悲しむだろう。いや、もう既に今だって相当心配に違いない。まだまだ若い二人だけど、やっぱ、早く孫の顔が・・・って、俺も孫な訳だけど、とにかく、見たい筈だ。リョウジ君に恋人を紹介してもらったのはアミさんが初めてで、これは相当うまくいっているのだと分かる。リョウジ君が良いって言うから転がり込んできたけど、やっぱ邪魔だよな、俺。
 思考は巡るけれど、生まれてこの方、俺の人生の大半にはリョウジ君が影響してきたので、イマイチ、ピンと来ない。出ない答えは、ほとんどリョウジ君が教えてくれた。
「ん、これは区間を割って場合分けして積分するんだよ。簡単じゃねぇか」
 突然降ってきた積分の解法に顔を上げると、リョウジ君が帰ってきていた。俺の手の止まっている問題を見たらしい。
「お勉強ですか。感心感心」
 リョウジ君は冷蔵庫からミネラルウォーター、寝室から本とノートパソコンを持ってきて、テーブルの前に胡座をかいた。
「明日も仕事なのに、家でも仕事あるわけ?」
「山のようにな。・・・言うな、悲しくなるから」
 リョウジ君は大きく欠伸をした。乱暴にこすったその目は赤く、隈も濃くなっていた。
 しばしの沈黙の後、また何問か解いてから、俺が口を開いた。
「リョウジ君は、アミさんと結婚するのか?」
 リョウジ君が手を止めて、眼を丸くして俺のほうを見る。
「結婚?なんでまた急に」
 俺が、何となくかな、と言うと、リョウジ君は可笑しそうにして、大げさに唸った。
「まだ一年だしなぁ。あいつ、そういう気あるのか怪しいな。俺と結婚したって玉の輿でも何でもねぇし」
「でかい居候もいるし?」
 何気なく言ったつもりだったのに、リョウジ君の目の色が少しだけ深くなった気がした。
「シンは、可愛い甥っ子であり親愛なる弟分だよ」
「そりゃどうも」
「今、シンと結婚だったら、出来れば両方、選ぶとしたら迷った末にシンをとるね」
「気持ち悪ぃ!」
 おどけてみせると、リョウジ君もニヤリと笑う。
「そういう訳だから、安心してお邪魔虫すればいいさ。俺ん家で気を遣わなくても良い」
 俺は決まりの悪い思いになる。リョウジ君が大人だと感じるのは、こういう時。
「ばれてたんだ?」
「バレバレだよ。十六歳のガキの考えることくらい」
 そしてリョウジ君は、首を傾げた。
「慎み深いのはいいことだけど、何でそんな事が気になったんだ?」
 俺はペンを置いた。
「人生って何だろうなぁと思ったから」
「は?」
 話が飛躍したのは自覚がある。普段ならこんな話はしないんだけど、眠気が戻ってきて、脳みそが少しおかしくなっていたのかもしれない。
「ナベさんとジュンコさんってさ、折角二人の子供を大きくしたのに、一人がチビ残して亡くなって、またそいつ育てなきゃいけなかった訳だろ?もう、給料は趣味とかに使える筈だったのにさ。リョウジ君だって、俺がいるから、彼女連れ込んだりとか出来ないしさ。・・・愛情かけて育てて貰ってる自覚はあるんだけど、俺って、何か、本来こんなに迷惑かけなくて良い筈の人に迷惑かけまくってて、それで、俺って何なんだろう、とかさ」
 どうして生きてるんだろう、とは流石に言えなかった。
 ふぅっと息を吐いて、リョウジ君は、本当に真剣な、それでいて悲しげな顔をした。
「シンが間違ってるのは」
 リョウジ君は指を立てた。
「第一に、ナベさんやジュンコさんや俺は別に迷惑をかけられてるわけじゃない」
「そう言ってくれると思った」
 渡辺家の人々は、とても優しい。だけど、俺が思っているのはそういう事ではない。
「第二に」
 リョウジ君が指をもう一本立てる。
「シンは、一人で自然発生的に生まれてきた訳じゃない」
「え?」
 どういう意味だろう。
「知っての通り、人間は染色体二十三本を持った卵及び精子が受精しないとそもそも発生しねぇんだよ。シンが、この世に出てきた方が良いと思った人間が、一番最初に少なくとも二人いたって事だ」
 だから、とリョウジ君はとびきり大人の顔をした。
「それが、そうして生まれたのが、シンだよ。その二人は偶然お前の近くにはいないけど、その代わりに、シンがいた方が良いと思った人間が、代わってシンを維持してるんだ」
 その人達の中にはシンも入ってるんだけどな、とリョウジ君は言った。
 俺は少し感動した。リョウジ君の説明は、筋道が通っていて尚且つ温かみがあった。
「あ、そうそう、医師としてお願いしておきますが」
 リョウジ君が口調を変え、下らない事を言う時の表情で言う。
「自分の存在に疑問を持ったからって、自殺やら他殺やらはやめろよ。運び込まれたのを診るので、俺が過労死するから、余分にもう一人、全く罪の無い人間を殺す事になるぞ」
 そして、リョウジ君はまた欠伸する。