断頭士と買われた奴隷
「それでお前、何て名前だ?」
「……?」
翌朝、朝食を囲みながら俺は聞いた。少女はパンにかぶりついたままキョトンとした瞳で俺を見ている。
「だから名前だ、名前。 いつまでもお前、では不便だろう? だから名前を教えて欲しい」
「……ふぁーふぃふぁふぇふ」
もごもごと口を動かしながら喋り、そしてさらに口の中にパンを詰め込む。――コイツは本当に昨日の奴隷と同一人物なのだろうか。あまりの豹変ぶりに本気で疑ってしまう。
「行儀が悪い。口の中に物を入れたまま喋るな」
モゴモゴモゴモゴモゴ……ゴクン。口一杯に頬張っていたものを飲み込むと少女は口を開く。
「アーミラです」
「そうか。じゃあアーミラ、聞きたいことが……おい、少しは食べるのを止めろ」
リスのように頬を膨らませたアーミラの食事を中断させる。
「もぐもぐもぐ。……何でしょうか、御主人様」
「やめろ、ルージェで良い」
御主人様、と呼ばれすぐに呼び方を改めさせる。奴隷を買ったのだ、確かに主人には違いないがその呼び方だけはされたくなかった。
「じゃあルージェさん、なんですか?」
「いきなりさん付けか」
コイツは自分が奴隷だって事を理解しているのだろうか。
「まぁいい、アーミラ。不思議に思っていたが、何故お前は暴れたり逃げたりしようとしない? 逃げようと思えば昨日からチャンスは幾らでもあっただろう?」
そうだ、家に連れ帰ってからは拘束も外していたし、あえて目を離すことも多かった。正直俺としてはコイツが逃げても構わなかったのだが、何故かアーミラは逃げようとはしない。その理由が知りたかった。
「……何で逃げる必要があるんです?」
「何でって……」
少女はおかしなことを聞かれたかのように首を傾げた。
「自分が物のように売られるんだぞ、嫌じゃないのか? 普通は逃げ出すだろう」
「逃げるって何処に逃げるんですか? 私には帰る場所もないし、お金も持ってません。それにもし逃げ出して捕まったりすれば酷い罰を与えられるかもしれません。どうせ逃げても無駄なら素直にしている方がマシです」
そこまで話すとアーミラは俯いてしまった。
この少女があの奴隷市場で抱いていた感情は怒りでも恐怖でも無く、自分にはどうすることも出来ないという大きな絶望だった。逃げ道もなく何も持ってはいない、絶望の末に彼女が見いだした物は全てを諦め運命として受け入れることだったのだろう。あの瞳はそんなアーミラの心を現していたのだ。
「私も質問して良いですか?」
「何だ」
「何で昨日私を抱かなかったんですか? それにこうやってご飯も食べさせてくれるし、何が目的で私を買ったんですか?」
「俺にはガキを抱く趣味は無い。お前を買った目的は……特に無いな」
「……え」
何を言っているのか解らないという顔だった。それは当然だ、当の本人である俺ですらわかっていないのだから。
「お前を慰み者にしようとは思わないし、無理矢理労働させる気もない。ただお前をあの奴隷市場に居させたくなかっただけかも知れないな。まぁ折角買ったんだ、家事くらいは覚えて貰おうと思っている」
予想していなかった答えにアーミラは複雑そうな顔をした。戸惑っているような、だが何処か嬉しそうな表情だった。
「変わってる……」
「でも……何となくルージェさんに買われてよかったような気がします」
作品名:断頭士と買われた奴隷 作家名:大場雪尋