断頭士と買われた奴隷
「ん……あれは?」
家に向かう途中、奇妙なテントが建っているのを見かけた。外に止まっている馬車の荷台には頑丈そうな鉄柵が取り付けてある。
「……奴隷市場、か」
戦争によって侵略された国の民や理由があり親に売られた孤児等を、それを物好きな金持ちが買う為の場所だ。買われていった奴隷は労働力とされたり慰み者にされると聞く。俺も一歩間違っていればあそこで売られていたかも知れない。
「よぅよぅ、そこのお兄さん。どうだい、いい奴隷がいんぜ!」
呼び込みの男が馴れ馴れしい態度で近づいて来た。黄ばんだ歯を剥き出しに下品に笑う。
「いや、俺は奴隷に興味は……」
「まぁまぁ、見るだけでもいいからよぅ。入った入った」
強引な男にテントへと無理矢理押し込まれた。
中は薄暗くすえた獣のような臭いが籠もっていたが、しかし本当に獣がいるわけではない。それは人の、奴隷の臭いだった。
奴隷を買うつもりは無いがその中を見て回る。檻の中から様々な視線が俺へと向けられる。ある者は数人で固まって怯えた表情で震え、またある者は檻を壊すかの如く揺らし怒りを込めた瞳で俺を睨む。同じ人間だというのに俺は、まるで動物と対峙しているかのような感覚を覚えた。
怯え、怒り、困惑。その中に一つだけ異質なものを感じて俺は足を止めた。
「……あそこか」
檻の端にいた小さな影がこちらを見ていた。見ていたと表現したものの、その瞳にはまるで光が無くただ虚ろでゆらゆらと揺れていた。
その様子が気になって客寄せの男に問いかける。
「そこにいる小さいヤツだが、なんだアイツは?」
男は目をこらすと、あぁアイツかと頷いた。
「ありゃあ何年か前に仕入れたメスガキだな。ほれ、南の砂漠で戦があったろう? あん時に親の亡骸の側で泣いていたのを拾ったんだ」
「最初はギャアギャア喚いてたんだが、最近じゃとんと静かになってな。一応伽やら何やら仕込んだんだが、あんな様子だから客も気味悪がって買おうとしねぇんだ」
まったく、と溜息混じりに吐き出す。再びその少女へと目を向けると未だこちらを見つめたままだった。
「……いくらだ」
「あぁん!?」
驚いたように男が聞き返す。……だが俺自身も驚いていた。値段を聞いてどうする? あの少女を買おうというのか。
「おいおい、まさかアイツを買うってのか? 言っとくがアイツは何の役にも立たねぇぜ。文字も読めねぇし計算もできねぇ、出来ることといや伽位なもんだが、他にも元気なヤツやら大人しいヤツはいくらでもいるんだ、なんだってあの気味悪いクソガキ何だよ?」
「さぁな」
本当に自分でも何故そんな事を考えているのか理解できなかった。ただあの瞳を見ていると、ここに居させるわけにはいけない。そう思ってしまった。
「それでいくらだ?」
「アイツか……金貨十二枚ってとこだな」
ふふん、と男は鼻を鳴らし言う。俺が何も知らない子どもだと思ってナメているようだ。
「ふざけるな、今お前はあの子は何の役にも立たないと言っただろう。それを何故奴隷の一般相場で買わなきゃならない」
そして睨み付ける。一瞬怯んだが流石に奴隷商人だ、すぐに勢いを取り戻した。
「ちっ、仕方ねぇな……いくらなら買うってんだ?」
「金貨二枚だ」
「ふざけんじゃねぇ!! 二枚だと? 冗談じゃねぇ! アイツにゃ今まで食費やなんやで金がかかってんだ! 金貨六枚は貰わねぇと割に合わねぇんだよ!!」
「じゃあ六枚だ。交渉成立だな」
俺は懐から金の入った袋を取り出すと、中から金貨を六枚男に投げて渡す。
「おい、待ちやがれ! 確かに六枚は、とは言ったがそれで売るとは一言も言ってねぇぞ!」
真っ赤な顔をして不服そうに言うがその反応も予想済みだ。
「金貨六枚あればあの子の仕込みにかかった金は十分回収できているだろう。それに、ここに居ても売れないだけではますます食費ばかりが嵩んでいくぞ。それならば通常の半額とは言え金貨六枚で手を打つのは、寧ろ得だろう?」
俺の提案に男はグッと唸ったが諦めたのか溜息を吐いた。
「ったく、若いのに大したもんだ。いいぜ、連れて行きな。ただし本来なら服も着替えさせて身嗜みも整えてやるんだが、この金額で手を打ったんだ。だからそのサービスは無しだぜ!」
「あぁ、構わない」
そう告げると男は部下に少女を連れて来させた。肌は黒く汚れ、髪も脂でネトネトとテカり所々老廃物で肌に張り付いていた。臭いも少し強い。少女は俺の足下まで来ると顔を上げ真っ直ぐ俺を見つめる。その新緑の両眼に吸い込まれてしまう様な感覚がした。
「俺はルージェ。お前、名前は?」
「……」
俺の問いに答えようとはしない。ただ何を考えているのか解らない瞳をこちらに向けるだけだった。
「ほら、買ったんならさっさと出て行きな!」
奴隷商人にテントから放り出された。この子の所有権が俺に移った今ではここに用はない。少女の首輪から伸びた縄を腕に巻き付け歩き出す。俺は何も言葉をかけなかったが少女は黙って俺の横をついてきた。
途中、何故こんな事になったのかを考えていた。奴隷を持ちたいという欲望は無かった。それに可哀想だとかいう同情でもない。ただ単に気になっただけなのだ。
奴隷なんて珍しいものではない。しかし今までこんな気持ちになったことは無かった。自分の中で理由のわからない苛立ちがこみ上げていく。
その時腕に巻かれた縄が引かれた。視線を向けるとあの眼が俺を捕らえている。
「……何でもない」
そう呟くと俺は視線を逸らした。
作品名:断頭士と買われた奴隷 作家名:大場雪尋