ゼロ
坂
私には自分が岩であった頃の記憶がない。だが、確かに私はかつて岩であったのだ。恐らく私は、人の欲望に汚染されることのない高山の頂上付近で、時折空から降ってくる虚無の波を一身に集めていたと思うのだ。あるいは私は海底の一部をなして、内側を満たす魚の群れを手際よく飼育していたのかもしれない。
岩であったという確信は、木であったという信念に反射され、肥大する。私は自分が木であったという信念については多くを語りたくない。それは常に原始的な極彩色の恐怖とともにやってくる。私の精神のあらゆる部分は刺し殺され、蘇生するためには無為の一日を費やさねばならなくなる。
街路を歩いているときなど、私は意識することなく、全力で鉄塊になる。私は街路に転がり、無数の記憶が私の表面を傷つけるのを感得しない。私の質量は大地にはげしく憎悪されるので、私は転がらないではいられない。何かの拍子に私の放つ黒光が内側へと逆進すると、私は再び歩き始めるのだ。
私に取り巻かれた果実がある。それは複雑に表皮をうごめかすが、私は時折それに憔悴した刃物を入れ、みずみずしい内部を視線で焼き払う。――そんなときだ、坂がやってくるのは。私はそのとき先祖の残り香を剔抉しているかもしれないし、夢の界面上で倒立しているかもしれない。だが私が何をしていようと、坂は容赦なくやってくる。
私の家の床は哲学的に傾く。形而上の秘儀を拐取してくるのだ。あるいは私の立つ大地は神学的に傾く。裏切りとしての慈悲が気化し始めるのだ。坂は、私の唇から脱け落ちた知恵によって勾配を増す。私の血管は微量の電荷を生産し、私は坂への性欲に唐突に襲われる。
私は必ず登らなければならない。なぜなら、それは私だけの坂だからだ。足裏の摩擦の豊かさを確認しながら、私は始まりに向かって垂直のいじらしさを克服してゆく。古代人の見た風景が私を取り囲み、私は空もまた傾き始めたことを知る。私は岩であったという確信を楯に、古代人の、そしてもしかしたら異星人の視覚に兢々と抵抗する。
古代人の視覚が過ぎ去ると、坂は何物かに共鳴して低く響き始める。私はその不恭な音調に集中しなければならない。少しでも油断すると、私は鉄塊となり転がり落ちてしまうからだ。坂を登りきるためには、いったいどんなまなざしが必要なのだろう?どんな虹彩が?坂を登りきることは、できない。
地球は今やひとつの坂である。宇宙でさえ、かつてふたつの坂であった。私もまた、世界の末梢として、半眼の坂なのであろう。この汗は、私というおさない勾配を滑り落ちて来た液状の坂である。
気がつけば、私は普段の街路を歩いている。私は喫茶店に入り珈琲を注文する。私は自らの手の軌跡を美しいと思い、珈琲を醜いと思う。本を広げながら眼を閉じる。こうしていれば再び岩に戻れる、そんな気がするのだ。