ゼロ
月
月が盲目であることを知るのに私は二十年の歳月を要した。私にとって、月はあらゆる意味で眼であった。月から伸びる湿った神経束は世界の絶望へと接続していて、世界の絶望は、半ば狂いながら老犬の飢えと私の衰弱を表象していた。月の満ち欠けは死にゆくものの投げやりなまばたきであったし、月の光は眼球を覆ううすい涙の膜であった。月の表面のねじれた模様は、人々の恐怖の片鱗を構造化したものであった。
月は私たちの錯誤を引き起こす根源のようなものである。根源で湧出する豊かな濁った誠意である。例えば母親が他人の子と間違えて自分の子を殺すとき、月は無垢な微笑をたたえて磁界を歪ませている。例えば科学者が「真理」を発見して雀躍するとき、月は燃え立つ沈黙の中で彼の脳細胞を破裂させている。
月はすべての存在の源泉である。都市の錆び果てた階段の陰にも、痼疾に苦しむ狢の内皮にも、そして私の妻の良く動く表情の背景にも、月は青々と焼け、金属色をした植物を閃々と繁茂させている。私の庭の梅の木は、月の喜悦が形象化したものであり、私をかつてとらえていた恋愛の感情は、月の嘆きが圧縮され、ふたたび軟化したものである。月の裏側には虚月があり、月は虚月を馥郁と存在させ、虚月は月をなめらかに在らしめている。
月に到達するためには距離は意味を持たない。適切な時点というものもなく、その意味で数々の伝説は誤っている。ある伝説は、一人娘の初潮の夜に妻の陰毛を焚くべしと伝えるが、それはせいぜい宇宙線の軌道を変えるくらいの効果しか持たない。
必要なのはサソリの死体だ。それも数百匹のサソリの死体。ひとつの生命はひとつの減速する世界(それは繊維状になっている)をその裏側に刻み込んでいる。サソリの死体はいわば世界の死体として、それぞれの世界の焦点を結んでいるのだ。
月に到達したいと望む者は、まず一人の人間を燃やし、その炎で次々とサソリの死体を燃やしていく。人間の世界繊維は強靭であり、そこに巻きつけ結びつけるように、次々とサソリの世界繊維を解放するのだ。
サソリの燃える短い時間、人はそこに編み込まれた世界を体感する。人は都市が滅び始めるまさにその瞬間を、深い驚愕の縁に、あるいは都市の明るい窓々に見つけ出すかもしれないし、沙漠の地下深く、水の流れる場所に、微生物でできた小さな花のつぼみを見るかもしれない。
最後の死体を燃やし終えると、人は月の上に立っている。月はすべての世界の交点であり、無限に足しあわされた切片である。人は肉体を忘却し、海を忘却する。理由のない、灰汁に満ちた怒りに視界を覆われる。そして、静かに分裂しながら、無数の痛ましい麻糸となる。
月の上には夥しい数の人の死体がある。それらの死体が風に吹かれるごとに、地上では、例えば一個の林檎の実が生まれる。