かいなに擁かれて 第六章
「魅華ちゃんの足を引っ張らないように俺、勉強するぞぉ、コンサートの曲とか、表現したいイメージっていうか、どう言ったらいいのかなぁ……、あ、そうそう魅華ちゃんの集大成に相応しい構成って言うのか構想を教えて欲しいなぁ」
「うん、そうだね。ずっとずっと温めてきたもの。どんな時も一緒だったピアノ。ピアノはね、ワタシの歴史でワタシ自身なの。だから、大袈裟かも知れないけれど、ワタシのこれまでの道のりとこれからを表現できればと思うの。そうしたい。モーッアルト、ピアノソナタ第8番イ短調ケッヘル310を奏でたい」
「魅華ちゃん――自身。モーッアルト、ピアノソナタ、どんな曲なんだろう……、あ、ごめん、ごめん。マネージャーって言いながら、モーッアルトのそれ、俺、全然分からないわ……」
「ううん、いいの。信ちゃん、ありがとう」
モーッアルト、ピアノソナタ第8番イ短調ケッヘル310。
1778年初夏、仕事を探すためにパリに滞在中に書かれたモーッアルトの最初のピアノソナタ。最愛の母の死を予感してか、不安と悲しみが投影され、悲しみの息苦しさに支配された曲。悲劇的な主題で始まり、16分音符が絶え間なく並び、早い指づかいが要求される。
魅華は、この曲に自身を視る思いがあった。不安と悲しみの中で息苦しさに支配されながらも一条の光が射し込むことを信じながら、これまで懸命に歩いてきた自分の一歩一歩が絶え間なくそこに並んだ16分音符のように思えてならないのだ。
魅華は思う。
集大成としてのピアノ。それは自分のこれまでの歴史をピアノに投影することだと。だからその進行も、有りのままの自分を見て、聴いてもらいたいと。
遠い目で川面を見ていた魅華に信が声をかけた。
「魅華ちゃん、頑張ろうな」信は、なんて有りふれた言葉だろうと思ったが、それ以外にかける言葉が見つからなかった。
「うん。頑張ろうね。宜しくお願いします。マネージャーさん」
既に飲み干した二杯目のグラスを口元に付けようとして、空になっていることに気づき、信はバツ悪そうに頭を掻いた。
「信ちゃん、汗も引いたし、そろそろ、納屋のお母さんのところに行こうよ」
「おう、そうだね。今日は週末だから、きっと賑やかだぞ。みんなにコンサート宣伝しないとな。印刷屋も後で呼んでやろう」
「うん、行こう、行こう」
作品名:かいなに擁かれて 第六章 作家名:ヒロ