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旅エッセイー四国2 鳴門、父母が浜、別子銅山、金刀比羅宮

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 高知に来たからにはカツオのたたきを食べたい。ここならスーパーのものでも十分おいしい。とくに高知で売っているヌタという調味料をつけると絶品になる。このヌタなるもの、酢にニンニクのペーストと味噌、砂糖、ゆずなどがブレンドされた酢味噌なのだが、香川県にも徳島県にも売っていない。カツオのたたきは四国のどこでも売っているというのに、山葵やショウガしか置いてなく、ヌタは高知県と愛媛松山のサニーマートというスーパーにしか置いてないのはなぜだろう。これ、関東でも売って欲しい。これさえあればちょっと鮮度がアレな東京のスーパーのたたきもおいしく食べられるのに。(後にネットでレシピを探し自作している。柚の皮をすりおろし、汁もいれるとけっこうそれっぽくなった。なんといっても柚の爽やかさが決め手)
 
 さて翌日は朝から雨模様だが幸い高知城や歴史博物館を見る予定なので雨でも差し支えない。高知城は江戸時代の面影が残る本丸の建築群がすべて現存。城内部はいいが、外を歩く時はかなりの雨。歴博は山内容堂関係のものが多い。道すがらにある県立歴史民俗資料館にも立ち寄る。武市半平太の企画展や長宗我部関係の資料が多い。その後はまた山を突っ切って香川県へ。13時半までしかやっていない有名うどん店へ直行するが、店の外に売り切れの看板。がっかりしていたところへ店主が現れ、ふつうのうどんならあるとのことなので、天ぷらをトッピングしたぶっかけうどんなどを注文。売り切れなのは肉うどんの材料のことらしい。
 この日は父母が浜(ちちぶがはま)に宿泊。ここは日本のウユニ塩湖と言われる映える写真で有名な浜。平らな浜辺にできる水たまりに空が映って幻想的な写真が撮れる。季節や潮汐の時間帯がベストな日を選んでこの日にここを予約した、のだが、生憎の曇り空。天気がよければ最高なのだが、今朝からの雨が辛うじて上がっただけでもありがたいと言うべきだろう。
 宿は「龍のお宿」なる住宅街の一軒家である。一棟貸しというかたちで、オーナーとはショートメッセージでやり取りし、玄関わきのキーボックスの暗証番号を教えてもらい、自分たちで開けて入る。ガレージも自分で開け閉め。広い玄関の靴箱の上に置かれたiPadでチェックインする。古民家というほどではない、十分に近代的な古い家という感じでキッチンもダイニングも広い。縁側のある和室の床の間には掛け軸が三本かかり、寝室は一階にベッド2台、二階にもベッドが3台。大人数の家族連れによさそうだ。夫婦二人ではもったいない広い空間が占有できる。宿に荷物を置いて一服してから海岸に向かった。
 朝からの雨も辛うじて止み、傘を差さなくてよいくらいの天気であるが、海面に映る景色もちょっとどんより。それより、風がなくて水面にさざ波が立たないことのほうが映え写真には重要。水面ギリギリにカメラを構えるのがコツらしい。しばらく撮影していたが再び雨がぽつぽつしてきたので諦めて砂浜から引き揚げ足を洗う。この日は17時半が日の入りだったが、17時過ぎに西の方から晴れてきたので美しい夕焼けを見ることができた。再び足を洗うのも面倒で砂浜に降りなかったが、それなりに堪能。
 宿に戻り入浴後、買ってきたものを食べつつネットテレビを見る。ここはWi-Fiは完備だが逆にニュースもTverで見るしかない。この日、部屋中の暖房を入れる位寒くなったが、ニュースをみていると東京でも気温が10度くらいにしかならなかったらしい。まだ10月なのに。つい一月前は30℃とかだったのに。本当に最近の気候はわけがわからない。
 
 翌朝は見事に晴天。原状復帰してチェックアウト後、再び父母が浜へ行ってみる。やはり青空が反射したほうが圧倒的に美しい。昨日この天気だったらよかったのだけれどね。
 その後、空海が生まれた善通寺に立ち寄り、次に観音寺市の銭形砂絵へ。山の上からみてこそ銭とわかるが近くに行ってしまうと城跡の空堀がたくさんあるような感じ。上空からしかわからないナスカの地上絵みたいなものである。山からだと斜めにしか見えないのでドローンで真上から見ればもっとはっきり銭形に見えるのだろうか。あ、でも山から見る想定で楕円形に作られているというから真上じゃダメなのか。寛永時代、藩主巡視の際、領民が歓迎のため寛永通宝を一夜のうちに作り上げた、という伝説があるそうな。毎年春と秋にボランティアが凹凸を整えるらしい。
 この日のメイン観光は新居浜市の”東洋のマチュピチュ“旧別子銅山の東平(とうなる)地区を見ることなのだが、かなり険しい山の中にある。マイントピア別子という場所から出発するマイクロバスの後についていくのが無難というネット情報を得て、バスの発車時刻に合わせるように移動。この辺がよくわからないのだが、道の駅マイントピア別子とテーマパークのマイントピア別子は同じような場所にあるが別物なのだろうか。さらに山奥に旧別子道山東平地区という史跡がある。これらが同じものなのか別々の施設なのかもよくわからない。さらに新居浜の街には別子銅山記念館なんてものもありややこしい。
 後でAIのGeminiに聞いたところ、マイントピア別子とは別子銅山の跡地を利用したテーマパークおよび道の駅だそうです。
 端出場(はでば)エリアには道の駅としての本館がありレストランや店舗、温泉施設やトロッコでいく観光坑道や砂金採り体験アトラクションがある。そこから車で移動する標高750mの東平エリアはかつての鉱山町の跡地で産業遺産が残る。
 ちなみにChatGPTは概要のほか見どころやらオープン時間とかアクセス、駐車場の規模など数字多めで観光パンフっぽい長めの説明。
 前回の四国の時、愛媛には行くが新居浜エリアに行く予定がなかったためここの資料を処分してしまったのが悔やまれる。
 そして実際には、よく道を作ったなと思われるような曲がりくねった、要所要所で待機しないとすれ違えないような、細く、さらに所々土砂崩れの修復工事をしているような道を延々と辿ってようやくぽっかり開けた駐車場にたどり着く。ほっとするのと相まってと別天地という感じがする。山の上のせいか曇天で霧がかかって薄暗い。
 旧銅山町の廃墟という、かつては人が大勢暮らし賑わっていた場所から人が消え、建物が朽ち、自然に埋もれていきつつある、という廃墟特有の哀愁のようなものが漂っている。マチュピチュの例えはまんざらでもない。
 長崎の軍艦島もそうだが、東平地区も山中にかつては鉱山関係者とその家族の町ができ、社宅が立ち並び、学校や病院や郵便局があり商店があった。大正から昭和初期の最盛期には5000人が暮らしたとか。昭和43年に東平坑が休止され以後無人になったとのこと。