【別説】神も仏もない
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、説定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年10月時点のものです。お話の中には、事実に基づいた事件について書いていることもあれば、政治的意見も述べていますが、どちらも、「皆さんの代弁」というつもりで書いております。今回の事件も、「どこかで聞いたような」ということを思われるかも知れませんが、あくまでもフィクションだということをご了承ください。
プロローグ
一時期、宗教団体というものの猛威は、鳴りを潜めていたといってもいい。元々宗教団体というと、
「詐欺の温床」
とまで言われたほどであったが、最近は、宗教団体というものを使わずとも、いろいろな手段での詐欺が横行していることから、
「本当はあるのかも知れないが、目立たないということで、鳴りを潜めている」
ということになるのだろう。
実際に、宗教団体というと、戦後の歴史であっても、いろいろある。
「時代的にいつがひどかったのか?」
ということであろうが、やはり、
「世の中が落ち着いていなければ、宗教団体が流行る」
ということで、
「神頼み」
というのは、昔であっても、今であっても、変わりはないといえるだろ。
そもそも、日本という国は、太古の昔から、
「神の国」
と言われてきた。
なんといっても、
「万世一系の皇祖」
ということで、天皇という絶対的な君主がいた。
これは、途中の武家世界という、
「幕府が世の中を収める」
という時代であっても、あくまでも、
「将軍と言えども、天皇を補佐する立場」
ということである。
つまりは、
「天皇が一番上にいて、その下に、公家の階級がある」
ということで、その公家の階級の中に、
「武家の階級も存在している」
ということになる。
だから、
「征夷大将軍」
といっても、あくまでも、武家の最高階級というだけで、朝廷内においては、
「家康であっても、内大臣」
「秀吉であれば、太政大臣」
「信長は、頼朝と同じ官位を得ることで、天下人としての権威を持つことができた」
ということであった。
だが、その人も、
「天皇の権威には及ぶことはなかった」
三英傑も、他の戦国大名も、一律に、
「朝廷や天皇」
に対しては敬意を表していた。
そもそも、信長などは、
「弱体化した室町幕府」
であっても、その再興を考えようとしていたのだ。
確かに、
「すべてにおいての独裁」
ということよりも、
「利用できるものは何でも利用する」
という方が効率がいい。
なんといっても、
「群雄割拠の戦国時代」
というのは、
「いつどこで謀反が起こるか分からない」
という、
「下剋上の時代」
ということではないか。
一人で全部を収めようとすると、裏切られた時、まわりから挟み撃ちになるということであれば、さすがに、四面楚歌になってしまうというものだ。
だから、
「朝廷や幕府の権威」
というものがバックにあれば、簡単に他の大名は手を出せないということである。
だから、
「信長は、神になろうとした」
と言われるが、本当にそうであろうか?
「神の権威」
ということで、天皇の権威を使い、
「我に逆らうは、天皇に逆らうも同じ」
ということで、
「大規模な馬廻りの行事を行った」
というのも分かるというものである。
そもそも、
「天皇の権威」
を使うというのが一番うまく世間を回すためにはいい。
というのは、
「天皇を仰ぐことで、戦乱の世を収める」
ということであれば、これ以上の大義名分はないということになる。
だから、江戸時代でも、あくまでも、
「公家の階級」
というものが強いというわけで、
「大名であっても、階級の上の公家には逆らえない」
ということだ。
それが、
「徳川幕府の滅亡」
とともに、
「天皇中心の世の中」
ということになった。
実際に、源頼朝が起こした、
「鎌倉幕府以降」
であれば、その間、
「天皇中心の世の中にしよう」
ということで、いくさもあった。
「鎌倉時代において、幕府の世襲であった源氏が、三代で滅んだ」
ということで、当時の後鳥羽上皇が、
「鎌倉幕府の執権」
を、謀反をたくらんでいるとして、朝敵ということから、追討軍を送り込むという、
「承久の変」
というのが起こった。。
これは歴史的に大きなことで、
「朝廷に対して、初めて武家が戦を挑んだ」
ということであり、
しかも、
「朝敵側が勝利した」
ということからである。
その後も、
「鎌倉幕府滅亡」
というものが絡んだ事件として、
「後醍醐天皇による、建武の新政」
というものがあった。
これは、そもそも、鎌倉政権としては、
「元寇」
という、外敵来襲という不運から、
「勝利しても、土地を得ることができなかった」
ということで、
「御家人の困窮」
ということから、これと言った対策を取ることができなかった幕府は、結局、
「滅びるしかない」
という運命で、その時、倒幕勢力を後押ししたのが、
「後醍醐天皇」
ということであった。
しかし、
「鎌倉幕府への倒幕」
ということには成功したが、実際の政治においては、
「あくまでも、公家中心の体制」
ということで、
「命を貼って戦った」
という武士に対しては、報酬は少なく、何もしなかった公家に報酬が多いということであれば、さすがに御家人たちも、
「これでは、時代が平安末期に戻った」
ということで、簡単に承服することなどできないということである。
だからこそ、武士たちは、
「足利尊氏」
を奉じて、
「武家社会の復活」
を願って、今度は、朝廷に戦いを挑んだ。
なんといっても、戦に関しては、公家は素人というよりも、
「まるで赤子のようだ」
ということで、作戦面でも、戦力の上でも、まったく役に立たないということであるのであった。
朝廷側には、
「楠木正成」
「新田義貞」
などの、
「歴戦の猛者」
がいたにも関わらず、その作戦を無視し、あくまでも、
「自分たちが階級が上だ」
ということで、せっかくの武将たちの作戦を取り入れず、それこそ、
「自殺行為」
と言われるような戦法しか取ることができず、結局、
「犬死」
という形になったのだ。
さすがに、その雄姿は、後世に語り継がれるということになったのだが、それこそ、あの時、
「作戦が受け入れられていれば」
と考えれば、
「その後の歴史は、大いに変わっているかも知れない」
と考えられる。
プロローグ
一時期、宗教団体というものの猛威は、鳴りを潜めていたといってもいい。元々宗教団体というと、
「詐欺の温床」
とまで言われたほどであったが、最近は、宗教団体というものを使わずとも、いろいろな手段での詐欺が横行していることから、
「本当はあるのかも知れないが、目立たないということで、鳴りを潜めている」
ということになるのだろう。
実際に、宗教団体というと、戦後の歴史であっても、いろいろある。
「時代的にいつがひどかったのか?」
ということであろうが、やはり、
「世の中が落ち着いていなければ、宗教団体が流行る」
ということで、
「神頼み」
というのは、昔であっても、今であっても、変わりはないといえるだろ。
そもそも、日本という国は、太古の昔から、
「神の国」
と言われてきた。
なんといっても、
「万世一系の皇祖」
ということで、天皇という絶対的な君主がいた。
これは、途中の武家世界という、
「幕府が世の中を収める」
という時代であっても、あくまでも、
「将軍と言えども、天皇を補佐する立場」
ということである。
つまりは、
「天皇が一番上にいて、その下に、公家の階級がある」
ということで、その公家の階級の中に、
「武家の階級も存在している」
ということになる。
だから、
「征夷大将軍」
といっても、あくまでも、武家の最高階級というだけで、朝廷内においては、
「家康であっても、内大臣」
「秀吉であれば、太政大臣」
「信長は、頼朝と同じ官位を得ることで、天下人としての権威を持つことができた」
ということであった。
だが、その人も、
「天皇の権威には及ぶことはなかった」
三英傑も、他の戦国大名も、一律に、
「朝廷や天皇」
に対しては敬意を表していた。
そもそも、信長などは、
「弱体化した室町幕府」
であっても、その再興を考えようとしていたのだ。
確かに、
「すべてにおいての独裁」
ということよりも、
「利用できるものは何でも利用する」
という方が効率がいい。
なんといっても、
「群雄割拠の戦国時代」
というのは、
「いつどこで謀反が起こるか分からない」
という、
「下剋上の時代」
ということではないか。
一人で全部を収めようとすると、裏切られた時、まわりから挟み撃ちになるということであれば、さすがに、四面楚歌になってしまうというものだ。
だから、
「朝廷や幕府の権威」
というものがバックにあれば、簡単に他の大名は手を出せないということである。
だから、
「信長は、神になろうとした」
と言われるが、本当にそうであろうか?
「神の権威」
ということで、天皇の権威を使い、
「我に逆らうは、天皇に逆らうも同じ」
ということで、
「大規模な馬廻りの行事を行った」
というのも分かるというものである。
そもそも、
「天皇の権威」
を使うというのが一番うまく世間を回すためにはいい。
というのは、
「天皇を仰ぐことで、戦乱の世を収める」
ということであれば、これ以上の大義名分はないということになる。
だから、江戸時代でも、あくまでも、
「公家の階級」
というものが強いというわけで、
「大名であっても、階級の上の公家には逆らえない」
ということだ。
それが、
「徳川幕府の滅亡」
とともに、
「天皇中心の世の中」
ということになった。
実際に、源頼朝が起こした、
「鎌倉幕府以降」
であれば、その間、
「天皇中心の世の中にしよう」
ということで、いくさもあった。
「鎌倉時代において、幕府の世襲であった源氏が、三代で滅んだ」
ということで、当時の後鳥羽上皇が、
「鎌倉幕府の執権」
を、謀反をたくらんでいるとして、朝敵ということから、追討軍を送り込むという、
「承久の変」
というのが起こった。。
これは歴史的に大きなことで、
「朝廷に対して、初めて武家が戦を挑んだ」
ということであり、
しかも、
「朝敵側が勝利した」
ということからである。
その後も、
「鎌倉幕府滅亡」
というものが絡んだ事件として、
「後醍醐天皇による、建武の新政」
というものがあった。
これは、そもそも、鎌倉政権としては、
「元寇」
という、外敵来襲という不運から、
「勝利しても、土地を得ることができなかった」
ということで、
「御家人の困窮」
ということから、これと言った対策を取ることができなかった幕府は、結局、
「滅びるしかない」
という運命で、その時、倒幕勢力を後押ししたのが、
「後醍醐天皇」
ということであった。
しかし、
「鎌倉幕府への倒幕」
ということには成功したが、実際の政治においては、
「あくまでも、公家中心の体制」
ということで、
「命を貼って戦った」
という武士に対しては、報酬は少なく、何もしなかった公家に報酬が多いということであれば、さすがに御家人たちも、
「これでは、時代が平安末期に戻った」
ということで、簡単に承服することなどできないということである。
だからこそ、武士たちは、
「足利尊氏」
を奉じて、
「武家社会の復活」
を願って、今度は、朝廷に戦いを挑んだ。
なんといっても、戦に関しては、公家は素人というよりも、
「まるで赤子のようだ」
ということで、作戦面でも、戦力の上でも、まったく役に立たないということであるのであった。
朝廷側には、
「楠木正成」
「新田義貞」
などの、
「歴戦の猛者」
がいたにも関わらず、その作戦を無視し、あくまでも、
「自分たちが階級が上だ」
ということで、せっかくの武将たちの作戦を取り入れず、それこそ、
「自殺行為」
と言われるような戦法しか取ることができず、結局、
「犬死」
という形になったのだ。
さすがに、その雄姿は、後世に語り継がれるということになったのだが、それこそ、あの時、
「作戦が受け入れられていれば」
と考えれば、
「その後の歴史は、大いに変わっているかも知れない」
と考えられる。
作品名:【別説】神も仏もない 作家名:森本晃次



