近未来改造計画
というものは、重要視されていなかったのだ。
だからなのか、
「性能というものよりも、感情というものが求められる時代だった」
といってもいいだろう。
大団円
そんな、元々は、
「交通事故専用介護ロボット」
という形で作られたロボットは、そういう理屈から、
「性処理ロボット」
ということに安易に転用できるように作られている。
もちろん、
「つかさ」
もそうであり、そんなつかさを好きになったという正治も、それはそれで、
「無理もないこと」
ということであっただろう。
ただ、元々、女性ロボットというのは、
「軍事目的」
ということでもあった。
「戦争という一種異様な状態において、ロボットであっても、女というものに対して、性欲を示すということから、スパイロボットとしての機能を有していた」
というのだ。
だから、
「つかさ」型のロボットには、少なからず、
「相手を安心させる」
という機能が備わっていて、それが、
「癒しを与える」
ということにもつながってくる。
しかし、
「つかさ」
には、
「軍事型ロボット」
というものと決定的な違いがあった。
それは、
「正治を愛してしまった」
ということである。
「スパイ型ロボットには、間違ってお、相手を好きになる」
という機能は含まれていない。
へたにそんな機能があれば、相手に、
「スパイである」
ということが安易にバレて、逆に、ロボットを改造され、へたをすれば、
「逆スパイ」
ということになりかねないということになるであろう。
それを考えると、つかさは、
「人を愛することができる機能」
というものを、自分の中で、開発したのかも知れない。
ただ、それは、
「学習する」
ということで身に着けたものだと考えると、
「ロボットというものは、人間のような成長をする」
ということから、
「いずれは、人間のようになる」
ということから、
「人間にとって代わる時がくる」
といえるのではないだろうか?
ただ。それは、
「フランケンシュタイン症候群」
というもののように、
「人間に危機を与える」
ということではなく、
「人間とロボットの共存の中で、運命として、人間が滅んでしまう」
ということから、その後の世界を、
「ロボットが受け継ぐ」
ということである。
それは、実は悪いことではない。
なぜなら、
「ロボットというものは、唯一人間が作り出した、あくまでも、人間に近いというものである」
ということだからだ。
実際に、
「人間を作ったのは神だ」
と言われ、
「その失敗作を嘆いたことから、ノアの箱舟のような話ができあがった」
ということで、
「本当に神がいるのかいないのか?」
という問題から、いろいろな発想が生まれるといっても過言ではないだろう。
「人間が、ロボットを世に送り出した」
ということの本質は、
「平和な世の中を作る」
という考えからではないだろうか。
「人間というのは、自分の私利私欲のために、平気で殺しあう」
と言われる。
だから、
「人間というものは、驕りというものがあり、人間が、神話として作り上げた神様というものは、本当にわがままで、人間よりもひどい」
ということになるだろう。
だから、
「せめて、人間が作るロボット」
というものに対しては、
「人間よりも、いい意味で人間らしい」
というものに出来上がらないといけないということになるだろう。
「最悪な神様が作った人間は、神様よりも少しだけましだ」
ということになれば、
「人間が作るロボットというのが、人間よりも少しはマシだ」
ということになるとすれば、それこそ、
「人間の存在意義というものに、正当性を持たせることができる」
といえるだろう。
そういう意味で
「ロボットというものは、人間の正当性を証明するもの」
といっても過言ではない。
ただ、そんな中で、
「恋愛感情を持ったロボットの存在」
というものが証明されると、
「人間は、神を超えた」
ともいえるのではないか、
そもそも、
「神を越えようとして、その戒めが掛かれた、バベルの塔の話も、ノアの箱舟と同じ、聖書の中に書かれている」
というものではないだろうか。
「神というものが、これ以上、悪しきものだとして謳われるギリシャ神話というものを考える」
ということになると、
「ロボットと人間の関係」
というものも、
「人間と神の関係」
ということで、
「ロボット開発」
というものが、いずれは、
「聖書における、創世記というものに近いもの」
ということで、
「ずっと繰り返される発想」
ということになるだろう。
「メイド型ロボット」
というものが、
「意識することなく人間を好きになる」
ということは、どこまで人間を好きになるということなのかを示しているもので、
「人間がロボットを好きになる」
ということは、
「身体の関係」
というものに影響されるものではなく、いくら、
「人間に近い形のロボットができた」
といっても、そこには、
「神と人間の関係」
のようなものが存在していないと、成立しないということになるのではないだろうか?
そんな関係として、本来であれば、ここで終わりという発想であるが、これを、
「三すくみの関係」
として考えると、
「神とロボットの関係」
ということも考えられるのではないだろうか?
それぞれの関係に見えない糸が絡んでいるとすれば、
「神とロボットの関係」
ということが、
「堂々巡りを繰り返すいたちごっこだ」
ということになれば、
「ロボットを作ったのが、人間で、人間を作ったのが神だ」
ということになると、
「神を作ったのはロボットだ」
ということになるのではないだろうか?
その時に、時系列的には、成立できない関係ということを考えると、
「この三すくみは、いずれ、タイムマシンの発想につながっていくものではないか?」
ということから、今回の開発問題として存在している、
「近未来改造計画」
というものは、
「神と人間とロボット」
という三つの、三すくみという関係からきているといっても過言ではないだろう。
( 完 )
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