Ink
「小泉さんはリーダー的な存在で、クラスに問題があることは理解していたようです。だから、退学のきっかけになった殴打事件についても、それは自分の自業自得だと。矢野さんのことを守れなかったと悔やんでいました」
おれは思わず笑い出しそうになって、俯いた。小泉のやつ、よくもぬけぬけと。木下にいい顔をするために張り切って、矢野を心理的なサンドバッグにしていたくせに。しかし、それをそのまま書くとなると、矢野を追い詰めた人間の実像は掴めないまま、細野の記事は相当上滑りするのではないだろうか。
おれの心配をよそに、そこから先は二十分ほど高校生活の話が続いた。矢野にまつわることだけじゃなく、クラスの雰囲気自体が悪かったことや、担任の勝浦は定年間際で、最後の一年か二年さえ平穏に生き延びれば目の前で生徒が死んでも構わないといった風情だったこと。そして、木下は美人でスタイルも良く、勝浦を含む大人の男連中からは相当甘い目で見られていたし、何より世渡り上手だったということ。当時から続く怨嗟のような言葉が次々と口から飛び出してきて、おれは自分でも驚いた。そして、同時に気づいた。今でこそ家庭を持ち、妻と娘が家で待ってくれているが、当時はそんな展望が歪むぐらいに、クラスで生き延びることに神経を尖らせていた。
細野はおれの話を根気よく聞いた後、本題に引き戻した。
「犯人はいじめられていたというのが、今までの取材で浮かび上がってきたことです。きっかけというのは、あったのでしょうか?」
おれは、矢野の剣呑極まりない目つきを思い出した。あいつはとにかく、理不尽なことを嫌った。好きな奴はいないだろうが、耐性がゼロだと生きにくい人生を送る羽目になる。そしてその印象は、細野が語った学童での印象とも一致する。ルールを守る子供は保護するが、そうでない子供には厳しい。そして、四人を刺したという事実がある今となっては、細野の言う行方不明になった子供も矢野が手にかけたのではないかと、そんな気すらしてくる。おれは要らないことを口走らないように呼吸を整えてから、言った。
「立場の強い人間から理不尽に押し付けられると反発する。そういうタイプだったと思います。小泉以外に、本当のリーダー格のような奴がいましたから。四人目の木下がそれです」
「わたしも、そこに注目しています。個人的には、これは通り魔ではないと思っています」
「狙ったということですか? それなら、木下だけを刺せばいいんじゃないですか?」
おれが言うと、細野はうなずいた。
「これは現場にいた人の証言で、別の週刊誌にも出ていますが。殺された三人は、犯人が包丁を構えたときに通りがかって、笑い出したらしいんですね」
必死にやっているところを嘲笑されたら。矢野の反応は容易に想像がつく。三人殺して力が鈍ったところで本命に辿り着き、殺せなかった。まるで、何をするにも中途半端な矢野の頭の中を具体化したような犯罪だ。正義感だけがあって、それを伝える手足や頭が残念なら、初めから正義感自体を捨てたほうがいい。その方が平和に長く生きられる。木下の名前が出たままになっていることに気づいて、おれは言った。
「木下には、取材したんですか?」
「面会できない状態ですし、ずっとショック状態で、言葉自体話せないそうです」
細野が残念そうに言い、おれはコーヒーをひと口飲んだ。細野はそれでようやく許可が下りたように自分のコーヒーをひと口飲むと、ふうと息を吐いた。
「いじめ、なんですかね。何かがきっかけで始まった。失言だったり、外見的な特徴があったり」
ここから先は、記者の本分ではないはずの妄想の世界だ。なんとでも書けるが、責任だけは一人前について回る。おれは細野をけん制するつもりで、唇を結んだ。細野と目が合ったが、その光は収まるどころか、さらに光を増していた。
「例えば、初めから標的にされることが決まっていたりとか」
「そういう記事を書くんですか? 想像で書いたらいけないのでは」
おれが言うと、細野は照れ隠しをするように目を伏せた。
「そうですよね、すみません。これは完全にわたしの考えです。ただ、裏付けが取れるような何かを知ってらっしゃったらと思ったんです。本当に想像の域を出ませんが、例えば木下さんが、次はあいつにしようって仲間と打ち合わせていたとか」
「僕は仲間じゃないので、そこは分かりようがないです」
おれはそう言って、アルバムに視線を向けた。三十六人のクラス。この内、何人と連絡が取れたのだろう。そう疑問に思っていると、おれの考えを先回りするように細野は言った。
「この中で連絡を取り合っている方は、いらっしゃいませんか?」
「連絡先を知っているのは、早瀬だけですね。あいつはそもそもこの中にいないし。とにかく、このクラスには本当にいい思い出がないんです」
おれが言うと、細野はICレコーダーに視線を向けた。おおよそ四十分。一般人に対するインタビューとしては、これぐらいがちょうどいいのではないだろうか。細野に対する目線でそれとなく潮時だということを伝えると、細野は口角を上げてICレコーダーを止めた。そのまま謝礼の話になり、細野は畳んだままの上着を膝に乗せると、言った。
「ご協力ありがとうございました。編集長から連絡が入ると思いますので、よろしくお願いします」
ひとりだけ残るのもおかしいと思い、おれは立ち上がると上着をひっかけて、伝票を店員さんに差し出した。
「コーヒー代は持ちますので」
細野は何度も手を振って遠慮したが、おれは二人分を支払った。それとなく分かれ道になるタイミングを見計らいながら結局駅ビルまで辿り着き、おれはしばらくぶらついてから土産を買って帰ろうと思いつき、麻美にメッセージを送った。
『用事終わった。しばらく駅ビルにいるから、起きたタイミングで欲しいものがあったら教えて。なくても、夕方にはいつものバームクーヘンを買って帰るよ』
おれがディスプレイから目を上げると、細野は地図アプリを見つめながらICカードが入ったケースを手に持った。ぺこりと頭を下げてそのまま改札の方へ向かう細野に、おれは一礼した。
「これからも、何人か回るんですか?」
細野はカードケースを手に持ったまま、首を横に振って笑った。
「あなたで最後です」
「そうですか、お疲れさまでした」
おれはそう言って小さく頭を下げると、運送業者が使うような白色のキャップを被った細野が構内へ入っていくのを少しだけ見送り、駅ビルの中へ入った。冷や汗はまだ服と体の間を巡っている。
それは、美術室に呼び出されたときと同じだった。木下が提示した選択肢。そこには、佐田と津川、そして矢野の名前があった。佐田を選ぼうとしたときの反応を見たおれは、選択肢の中で唯一の男子である矢野を選んだ。
そして、矢野へのいじめが始まった。おれが名前を選んだから始まったことだと確信したとき、おれは矢野が早く暴れるなり首でも吊るなりして、学校から去ってくれるのを待った。結果的に矢野は途中で辞めることになり、おれは今までずっと忘れていられた。そうやって安心しきっていたら、矢野が突然事件を起こした。しかも木下は生きている。



