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過去と未来の人類

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この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、説定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年9月時点のものです。お話の中には、事実に基づいた事件について書いていることもあれば、政治的意見も述べていますが、どちらも、「皆さんの代弁」というつもりで書いております。今回の事件も、「どこかで聞いたような」ということを思われるかも知れませんが、あくまでもフィクションだということをご了承ください。今回の小説は、SF小説で、パラレルワールドを最初からありという発想で描いています。今回も、政府はフィクションです。

                 プロローグ

 時は、令和12年ということで、西暦でいえば、2030年ということになる。歴史的には、
「明らかに、人類の滅亡」
 という時期は始まっていて、徐々に時代は悲惨となっていった。
 ただ、その経緯に関しては、以前から提唱されていることであり、
「いずれは、近い将来に、人類は滅亡する」
 と言われ続けてきた。
 それを、
「少しでも遅くしよう」
 ということしか方法はないということであったが、
「数少ない希望」
 ということで、
「未来において、発達した科学で、いかに、人類の延命を図るか?」
 ということを考えてきたのであった。
 一つとして、
「タイムマシンで、太古の昔に戻り、その世界で、新たな文明を作り、それがあたかも、、未来人である自分たちの祖先ということで、時代を繰り返す歴史を歩む」
 という考えかただ。
 確かに、
「過去に戻って未来を変えてしまう」
 ということになると、
「生まれてくるはずの自分が生まれてこないことになり、過去に戻る」
 ということができない。
 となるだろう。
 だから、
「過去に戻って、未来を変えると、自分の存在が消えてしまう可能性がある」
 ということから、
「タイムパラドックスが起こる」
 と言われ、
「タブーだ」
 と、SF的な発想では言われてきた。
 しかし、実際には、未来において、
「地球は滅亡してしまうが、それが、自分の存命中という可能性が高い」
 ということになったのだ。
 彼の名前は、真田正敏という。
 令和12年時点では、大学生で、理化学全般について研究していた。
 その頃の理工系の大学では、それぞれの工学や、理化学の各論と、総論というもので、チームを作っての研究が進んでいた。それこそ、
「コンダクターがいて、それぞれの演奏者がいる」
 という、オーケストラ体制と言われるものであった。
 本来は、そういう形での研究が、本来の姿だということを提唱する人が、6年くらい前に出てきたことで、工学会が、急速に発展した。
 そのおかげで、それぞれで研究していては、まるで、交わることのない平行線を描いているかのように、まったく進まない研究が、まるで、目からうろこが落ちたかのように、どんどん研究が学会で発表されてきたのだ。
 そのおかげで、それまでまったく膠着状態だった、
「タイムマシンの研究」
 であったり、
「ロボット工学」
 というものが、発展してきたのだった。
「タイムパラドックス」
 であったり、
「フレーム問題」「
 などが解決したわけではなく、あくまでも、その問題にこだわるあまり、大きな堂々巡りを繰り返し、それが、
「いたちごっこを引き起こしてきた」
 ということからの脱却のようなものができてきたことで、
「科学の発展に、こだわりが大きいと、進むものも進まない」
 ということが言われるようになったのだ。
 それは、
「パラレルワールド」
 というものの信憑性を、ある科学者が提唱したことで、それまで、
「ある程度までは提唱されたが、あと一歩の証明ができないことで、繰り返された堂々巡り」
 というものが解消されることになったのだ。
 やはり、
「人類の滅亡」
 というものが、現実味を帯びてきたということで、
「背に腹は代えられない」
 という発想が強くなってきたからであろうか。
「一人はみんなのため」
 ということで、形成されてきた世界であったが、結局は、
「その皆」
 というのは、人類という狭い範囲でのことということで、本来であれば、
「自然の摂理」
 というものに従順しないといけなかったのに、それをしないことで、滅亡に瀕しようという人類を助けるには、
「今度は逆に、個人主義」
 という考えから、
「自由な発想」
 というものの、本当の意味を探すということが大切だと考えるようになった。
 そもそも、
「みんなのため」
 という考えが強いことで、その皆という発想をはき違えたことで、
「人類の滅亡」
 ということを考えず、文明の発展ということだけを考え、世界の滅亡というものが見えてきた時も、
「どうすれば、人類が助かる?」
 ということで、
「すべては、人類のため」
 という発想でしか考えていなかったのだ。
「結局最後は人類だけが生き残れなかった」
 ということになってしまえば、
「食糧はどうなるのか?」
 ということである。
 他の生物が生き残ってこその食料なのだから、
「最後は人間だけが生き残れればいい」
 という発想は、それこそ、本末転倒だということにあるだろう。
 つまり、人間社会というのは、
「大きな木の切り株のようなもので、その中にある年輪というものの一番中心にある小さな輪でしかない」
 ということになるのだろう。
 まわりには、たくさんのものが存在してこその世界だということを失念してしまうと、人間は生きていけないのだ。
 そのことに、
「警鐘を鳴らしている」
 ということが、世の中に起こっている事象ということで、どこまで考えられるというのか?
 たとえば、
「合わせ鏡」
 であったり、
「マトリョシカ人形」
 というもののように、
「どんどん小さくなってはいくが、決してゼロになることはない」
 ということで、
「永遠であり、どこまでいっても、限りなくゼロに近いもの」
 という発想に至るというのが、今の世の中といってもいいだろう。
 合わせ鏡も、マトリョシカも、偶然なのか必然なのか、人間社会に現れたもので、それを意識するかしないかによって、考えかたのふくらみが変わってくるというのは、科学者であれば、当たり前の発想として受け止めている。
 絶えず考えているかのようだが、それは頭の中にあることということであり、まるで、
「路傍の石」
 のように考えられる。
「見えているはずなのに、敢えて意識をしないようにしているということを、無意識に絶えず感じている現象」
 それが、
「路傍の石」
作品名:過去と未来の人類 作家名:森本晃次