悠々日和キャンピングカーの旅:⑭西日本の旅(北部九州)
ちなみに、その頃に私が最もカッコいいと思っていたのは、三菱のギャランGTOだった。先ずは外観(スタイリング)に惚れて、その中でもヒップアップが特徴的で、ダッシュボードの幾つものメーターが並んでいて、そりゃもう最高にカッコいい自動車で、将来は絶対に乗りたいと思っていた。
結婚するまではバイクばかり乗っていて、妻が乗っていたトヨタのカリーナが初めての自家用車になり、次はスカイラインを所有した。その頃、GTOは中古車しかなく、数も限られていたようで、カーディーラーではめったに目にしなかった。
昭和の40年代は何もかもが次から次に新しくなり、これまでに無かったものが出現し、世の中は日々、便利になっていった。一方で、壊され廃棄されたものは時代遅れの使えないものだと烙印が押された。
ところが、その中で残っていたものがあり、今、それがその時代を象徴し、その頃をノスタルジーの感覚を伴い、思い出させてくれる貴重なものになっている。換言するならば、昭和の頃のレガシー(遺産)であり、カルチャー(文化)だ。
紀行文を執筆している今、「昭和の町」で撮った写真を見ていると、訪れた場所を思い出す以上に、私自身の思い出に結び付く遠い記憶が蘇る。この「昭和の町」は、訪れた人をタイムマシンに乗せてくれる。
そんな「タイムマシン」ではなく「ジル」に乗って、昭和の街並みが残る「駅通り商店街」を走ることにした。歩いてもよかったのだが、いつまでも昭和に浸ってしまいそうで、先を急ぐ必要はなかったが、次回の旅のために、ここの見所を少し残しておきたかった。
昭和のレトロ感たっぷりの通りをゆっくりと走っていると、そもそも「ジル」のサイズが大きく、歩行者もいるため、ゆっくりと走らざるを得なかった。
左右の店をチラリチラリと見ながら、何気なく前方を見ると、小さな路地との交差点で、2台のクルマが衝突した瞬間を見た。軽い衝突だったが、小さくはない凹みができていた。ドライブレコーダーを取り付けていたならば、全ての映像が撮れていて、警察への提出が可能だったはずだった。
スピードを落として、事故現場を横目で見ながら、R10に戻り、豊後高田を後にした。
ひとつだけ、付け加えたいことがある。それは豊後高田から、現JR宇佐駅を経て宇佐神宮までのわずか8.8kmを走っていた「宇佐参宮線」があったことだ。SLが客車を牽引し、途中から電車に替わったが、そのSLは「宇佐神宮」の境内に保管されている。
その最盛期には、別府湾に面したJR杵築駅から半島東部の国東町の国東駅までを結んだ全長30.3kmの「国東線」まで延伸して、国東半島をぐるりと一周する鉄道を形成する計画があったが、実現せずに終わった。
「宇佐参宮線」は昭和40年(1965年)に廃線になったが、幼少の頃に宇佐神宮に初詣をしていたので、この鉄道が現役の頃の姿を見ていたのかもしれないが、記憶にはなく、残念ながら古いアルバムにもそれらしい写真はなかった。
今、日本中に廃線跡があり、それを追うように赤字路線が廃線の危機を迎えている。第3セクターで生き残っている路線もあるが、鉄道ファンの私にとっては、これ以上、廃線や廃駅にならないように祈っている。ノスタルジーを前面に出せば、観光地化も夢ではないと思うのだが、いずれにせよ、鉄道が生き残るには生活面で利用されることが必須なのだろう。
国東半島の外周のR231は走らず、半島の付け根を横切るR10を選択して、湯の町別府を目指すことにした。
国東半島には思い出がある。高校生の頃に、中学の時の仲の良い友達4人と国東半島の長崎鼻まで自転車で走って、3泊4日のキャンプをやったことがある。自分たちで食事を作り、足が届かない岩場の海で泳ぎ、隣の燃えているテントの消火作業を手伝ったハプニングもあった。これらは全て、約半世紀前のことだが、長崎鼻の海やキャンプ場は当時のままなのだろうかとふと思った。次回はR231を走って、このキャンプ場に泊まることに決めた。
クルマでもバイクでも、何度も走ったことのある東九州の幹線道路R10の国東半島の付け根部分を「ジル」で走っている今、懐かしい風景に出会うこともあったが、大半の部分は初めて会うような風景で、多分、記憶が薄れているのだろう。
突然、「ハーモニーランド」の小さな標識が見えた。立ち寄ることはなかったが、後で調べてみると、「サンリオキャラクターパーク」で、サンリオのキティやマイメロ、キキララなどのキャラクターに会えるテーマパークとのこと。セカンドライフの私には縁のない場所だ。
とっくに撤去されたが、別府湾が見えたあたりに、手塚治虫の漫画の「ビッグエックス」の巨大な看板があったことを憶えている。確か「安全運転」の標語が載っていたような・・・、半世紀前の車窓風景だ。
国東半島の南側の付け根部分は速見郡日出町(はやみぐん・ひじまち)で、標高は多分50mくらいだろう。そのあたりでR10は大きくその向きを南東から南西に変え、別府湾に下って行くが、その先に鶴見岳が見えてきた。その右側の山は由布岳だと思うが、山頂部分が雲に覆われていて、特徴ある双耳峰(そうじほう)が見えず、確定できなかった。
そして、助手席の車窓に別府湾が見えてきた。記憶は薄らいでいるが、まだ懐かしさを感じる風景だ。
半世紀近くも前のことだが、JR東別府駅の近くに親戚がいて、幼少の頃は家族でよく訪ねたものだ。別府八湯のひとつで、別府温泉発祥の地でもある「浜脇(はまわき)温泉」の銭湯が近くにあり、親戚の家から歩いて、何度も湯に浸かりに行った。
少し背伸びをして一度だけ、銭湯からひとりで帰ったことがあり、その時に迷子になってしまった思い出がある。それは、銭湯からの帰路の曲がり角を間違えたためで、そのことに気付いてからすぐに戻ったものの、銭湯の前の広場には幾つもの路地があり、どれが親戚の家にたどり着く路地なのかすっかり忘れてしまったのだ。日暮れ時だったこともあり、心細くなってしまったところまでは記憶しているのだが、どうやって親戚の家に戻れたのかは記憶にない。
いずれにせよ、今の私にとっての「別府の景色」の大代表の「湯けむり」は、ここ、別府市の北側の日出町からはまだ見えなかった。
別府湾を眺められるドライブインの広い駐車場に入った。海側まで歩いて行くと、広大な景色が広がっていた。そこで撮った写真は、別府湾越の国東半島の景色、国東半島と佐賀関半島に挟まれた別府湾、大分市内の埋立地に広がる工場群、存在感の強い高崎山、そして再び国東半島側を見ると、先ほどは気が付かなかったのか、かなり鮮やかな虹の右端部分が半島に吸い込まれるようにフェイドアウトしてゆく風景だった。わずか1分くらいだったが、いい瞬間に巡り合えた気がした。
作品名:悠々日和キャンピングカーの旅:⑭西日本の旅(北部九州) 作家名:静岡のとみちゃん



