悠々日和キャンピングカーの旅:⑭西日本の旅(北部九州)
■11/23(旅の16日目):福岡県行橋市 ⇒ 大分県大分市(道の駅「佐賀関(さがのせき)」)
【この日の旅のあらまし】 実家から大分県の宇佐神宮(うさ・じんぐう)の近くに住んでいる親戚の家に立ち寄り、久し振りに会った従弟・従妹たちにキャンピングカーを見せて、この旅の出来事を紹介。昼食をご馳走になった後は、国東半島(くにさき・はんとう)の付け根にある豊後高田市(ぶんごたかだ・し)の「昭和の町並み」を訪れ、湯けむり漂う別府では「竹瓦温泉(たけがわら・おんせん)」に向かうもたどり着けず。佐賀関半島(さがのせき・はんとう)の手前の道の駅「佐賀関」で車中泊。【走行距離:142km】
【忘れられない出来事】 親戚の家に立ち寄った際に、玄米を30kgずつ頂いたこと、感謝、感謝だ。その後で訪れたのは豊後高田市の「昭和ロマン蔵(ぐら)」で、私にとっては、懐かしい昭和を思い出させてくれたタイムマシンだった。
【旅の内容】 午前9時頃に実家を出発して、大分県に向かってR10を南下した。弟のミニバンには両親と弟夫婦の4人が乗り、「ジル」には私ひとり。両親には、テーブルのある「ジル」を勧めたものの、乗り心地がいまいちだったため、弟のミニバンに乗ってしまった。やはり、年老いた両親にとっては、トラックベースのキャンピングカーの揺れが体に障るのだろう。
弟のミニバンの後を着いて行ったものの、「ジル」のいつもの巡行速度より速く、あまり慣れていない速度とそんなに開けられない車間距離に少し戸惑いながらも、少し大袈裟な表現だが、一生懸命に付いていき、その結果、車窓風景をじっくりと見る余裕はなかった。
途中で、うどんを生産する工場の直売店に立ち寄った。そこは工場の事務所のようだが、販売店も兼ねているとのこと。ここのうどんは、うどん好きの父が箱買いして、よく食べているもので、そういう意味ではお墨付きのうどんだ。私への土産として、うどんをひと箱、さらには、だんご汁まで買ってくれた。サンクス。
やがて大分県宇佐(うさ)市内の、全国に4万余社ある八幡社の総本宮の「宇佐神宮」にほど近い場所に住んでいる親戚の家に到着した。小学生の頃までは、その親戚の人たちと一緒に「宇佐神宮」で初詣をしたものだ。
私が乗って来たキャンピングカーに驚いた従姉(いとこ)にはダイネットに乗ってもらい、ひととおりの説明をして、これまでの旅や今回の旅の出来事の話をすると、興味がありそうな表情をして、質問しながら聞いてくれた。
それから家に入り、両親や弟たちは従姉との、いわゆる親戚同士の会話になっていき、私はその話を、そんなことが有ったのだと思いながら、口を挟まず聞いていた。
最後に、土産にと玄米を30kgいただいた。従姉の家は農家で、納屋の中の大きな冷蔵庫の中に定温保管されていた玄米だ。お礼を言った後は、頭の中では自宅周辺のコイン精米の場所を探していた。
従姉の家の近くに住んでいる別の親戚の家にも立ち寄った。
ここは私の母の実家で、伯父や伯母はかなり前に旅立たれ、今は従兄(いとこ)の代になっている。私たちは歓待を受け、まずは、ここでも玄米を30kgいただいた。さらには果樹園で採れたみかんを大きな袋一杯いただき、それは旅の中で食べ切れないほどの量だった。
色々な話をしている内に、五目ご飯、豚汁、煮物、鶏のから揚げなどが並ぶ昼食になり、それら全てが美味しく、食べ切れないほどの量だった。
昼食の後、旅の途中で腹が減ったら食べてねと、お弁当、おはぎ、大福、干し柿までもいただいてしまい、今日の夕食で食べることにした。ホントに、ホントに、サンクス。
実家を出発してから、うどんとだんご汁で10kg、玄米が2袋で60kg、差し入れの食料品も加わり、積載重量がかなりアップした。加えて、旅の準備で積んだ水は約100リットルなので、これから先の「ジル」の燃費が悪くなりそうだが、それは気持ちが満たされた嬉しい結果だ。
親戚の家を発つとき、家族とはここでお別れになった。母からは「キャンピングカーでのんびりと、また帰省してね」と言われ、セカンドライフの2本柱のひとつが認められたような気がした。
もう1本の柱の「パラモーターでの空の散歩」については、「危ないので早くやめなさい」と言われ続けているが、いつの日か、両親の目の前で華麗なるフライトを見せたいと思っている。
ちなみに、私の飛行歴は約11年間で1,000回以上のフライトを経験していて、まだ落下したことはなく、石ころの海岸で膝をついた時に、ほんの少し出血した程度で、工場マネジメントにおける「赤チン災害」のレベルだ。
向かった先は宇佐市の隣の豊後高田市(ぶんごたかだ・し)の「昭和の町」で、以前から訪れたいと思っていた場所だ。そこにある「昭和ロマン蔵(ぐら)」は、昭和のお宝を詰め込んだような博物館だ。
私の年代は「昭和の○○○」という施設があれば、つい入場してしまうのだろうが、私の場合、太平洋戦争後からの復興、そして近代に向けた成長・発展を続けた「昭和」の後半が対象だ。
駐車場に「ジル」を停めてから「昭和ロマン蔵」に向かっている途中に、ボンネットバスが停まっていて、その写真を撮った。
この紀行文を執筆しながら、このボンネットバスの運行を調べたところ、商店街や桂川(かつらがわ)沿いを15分で走るミニ周遊コースがあるとのことで、その乗車料金はなんと無料。そのことを知っていたら乗車して、昭和にトリップしてみたかった。
「昭和ロマン蔵」の建物は古くて大きく、昔は何かの蔵だったのだろう。調べたところ、大分県の財閥が米蔵として建てた旧高田農業倉庫を改修して造られとのことで、やはりそうだった。
その中の「駄菓子屋の夢博物館」には夥しい数の昭和のおもちゃが展示され、時間が経つのを忘れるほど、次から次に懐かしいものをじっくりと見ていった。
「昭和の夢町三丁目館」は昭和の暮らしにどっぷりと浸かることができるエリアで、昭和の街並みや小学校の教室、民家などが再現されていた。それらを見ていると、私が小学生だった頃の昭和30年代後半から40年代の初め頃のことを思い出した。当時、小学校の校舎の建て替えがあり、そのビフォー・アフターが象徴的だった。
これまで運動場(グランド)だった場所に鉄筋コンクリートの校舎が建てられ、そこで勉強が始まると、これまでの木造校舎が解体され、教室の中の木製の机と椅子はどこかに廃棄され、木造校舎があった場所が運動場になった。ところが、そこにはまだ小さな瓦礫が残っていたため、体育の時間中に、先生の指図の下、それらを拾い集めた。当時は日本社会が近代化に舵を切っていた時期だった。
「昭和ロマン蔵」の中庭に面した蔵の長い屋根の軒下に、昭和の頃の自動車が並んでいた。クラウン、グロリア、ルーチェ、スカイライン、サニー、コロナ、スバルサンバー、ミゼット等、今現在の自動車はどれもよく似た外観で、空力や製造コストの制約でそうなっているようだが、あの頃は、この外観はあのメーカーのクルマだと、影絵(シルエット)でも一目で分かるような自動車ばかりで、4輪メーカーのブランドを外観で表していた頃だったのだろう。館内のスバル360も含めて、レトロな自動車はカーマニアたちにとっては垂涎の的であり聖地だ。
作品名:悠々日和キャンピングカーの旅:⑭西日本の旅(北部九州) 作家名:静岡のとみちゃん



