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静岡のとみちゃん
静岡のとみちゃん
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悠々日和キャンピングカーの旅:⑭西日本の旅(北部九州)

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 2回目は4年生の時で、フォークソング研究会(フォーク研)の中のひとつのバンドでドラムを打っていたことが買われ、応援団で直径1mほどの大太鼓を打つことになった。演舞に合わせて打つのだが、そのひとつは郁恵ちゃん、その頃のアイドルだった榊原郁恵の「夏のお嬢さん」に、多少気持ちの悪いオリジナルの振り付けの演舞だった。しかしながら、運動会では失笑されたが最高に受けて、応援合戦ではNo.1だったと記憶している。

 この運動会には壮大且つ伝統的な前夜祭がある。
 1チームは確か30名ほどで、5チームの応援団が羽織袴の装束で、赤い鉢巻を巻いて、高下駄を履き、これぞ硬派の雰囲気で固め、隊を成して、大学から熊本城まで行進した。応援団メンバーだけでなく、工学部の学生も一緒になって練り歩く状況は、あたかも行軍のようだった。
 我がチームでは、竹で作った神輿(みこし)の上に大太鼓を載せ、私もその上に乗り、多くの学生に担がれ、行進するルートは熊本大学から子飼(こかい)商店街を抜けて、藤崎宮の参道を歩き、広いアーケード街の上通り(かみとおり)と下通り(しもとおり)を経て、熊本城の二の丸公園までの4km弱の道のりだ。上通りと下通りでは、アーケード街を歩く市民から注目されながら1回ずつ演舞を行い、ゴールの二の丸公園では最後の演舞を行い、前夜祭が終了した。
 神輿の上の私は、大学を出発する時から熊本城までの3回の演舞を含めて、多分2時間くらいだったと思うが、その間はずっと大太鼓を叩き続けた。その結果、両手は血だらけになっていて、驚きながらも、私にとっては最高の勲章だった。

 卒業後は熊本から離れ、静岡県内の企業に就職した。帰省先は北九州近くのため、大学への足は遠のいてしまい、20年に一度くらいの訪問頻度になってしまっている。そのような状況なので、運動会と前夜祭は以前のように開催されているのかどうかは分からないが、質実剛健を感じさせる伝統的な運動会と前夜祭は今でも、受け継がれていると期待したい。
 そこで、ネットで少し調べたところ、これまでに2度の中断を経て、今現在は、女子学生の増加に伴い誰もが楽しめるソフトな内容に変化し、「工闘祭」の名称として開催されているとのこと。ただし、前夜祭は開催されているのかどうかは分からなかった。
 当時、応援団の練習と前夜祭そして運動会には、かなりのめり込んでいたように思うが、それが時代の変遷で変わってきていることに、一種の寂しさを感じている。

 当時のフォーク研の部室は木造長屋の文化部の部室棟の一角で、「北キャンパス」の南西エリアの体育館の南隣にあった。前回に来た時は、その近くに鉄筋コンクリート造りの建物が2棟向かい合わせに建ち、その間にはアーケード街のように屋根が取り付けられ、各サークルがそのスペースを思い思いに使っていた。
 当時の部室のあった木造長屋はなくなっていたので、新しいフォーク研の部室に行ったところ、「フォーク研」ではなく「軽音楽部」の看板が出ていて、研究会から部に昇格したのかもしれないが、やはりこれも寂しさを感じる。
 その部室の前にいた男子学生に、ここは元のフォーク研?と訊くと、そうだという。40年前の部員ですよと自己紹介して、当時のことを思い出しながら色々なことを話した。
 フォーク研の定期コンサートの「グリーン」と「さむさむ」、その開催場所だった郵貯会館、部室を使った練習スケジュールは特に定期コンサート前は混んでいたこと、フォーク研とジャズ研の部室に挟まれた将棋部の部室内で将棋を指す学生の集中度は高いのだろうという話、深夜にバンド練習した後は部室の裏側にあったプールに真っ裸で入ったこと、部室の前のベンチに座って食堂から持ってきたカレーを食べていたこと、現在の部室にあるドラムは以前と同じパールだが当時のもがずっと使われているのか? それ以降は質問に変わっていったが、たとえば、今の部員数は何人? フォークソングはやっているのか? などなど、年の離れた後輩たちとの会話が続いた。

 「北キャンパス」内の校舎を見た後は、もうひとつの食堂に行ったところ、建て替わっており、多言語文化総合教育棟の校舎になっていた。その隣には別の出入口があるのだが、当時はなかった守衛所とゲートが設けられていた。その西側は放送大学の看板が立っており、そのことについて、守衛所のガードマンに訊いたところ、社会人向けとのこと。ネットでその概要が分かるよと教えてくれた。ついでにダメ元で、卒業生だけどキャンパス内でのキャンピングカーで車中泊できるかと訊いたところ、やはりダメだった。
 理学部や工学部の校舎が立ち並ぶ「南キャンパス」も回り終え、「ジル」まで戻って来た時、先ほどの女子大生のクルマがまだ駐車されていたので、「○○さん、残りの大学生活を楽しんでください。キャンピングカーの旅人より」と書いた置手紙をワイパーに挟んだ。

 大学院でも学び、都合6年間も通った大学では、フォーク研の活動もあり、想い出の多い「キャンパスの旅」が終わった。

 熊本大学を発つ前に、5年間もお世話になったアパートの大家さんに連絡をしようと思ったが、電話番号のみならず名前すら思い出せない。そんな自分を情けなく思いながら、スマホの連絡先リストをスクロールするも、それらしい名前はなく、残念ながら連絡することができなかった。帰宅してから探してみよう。
 そういえば、熊本市在住の大学の同窓生やフォーク研の仲間の連絡先も知らず、大学のキャンパスを訪れただけになったが、それでも十分且つ満足したのだったが、若干の心残りがあった。次回の九州の旅では、しっかりと準備して彼らを訪ねる旅を考えたい。
 九州の西側の幹線道路のR3沿いで車中泊ができそうな幾つかの候補の道の駅を挙げてから、「赤門」を横目で見ながら旧R57を西に進み、R3との交差点を右に曲がり、福岡県を目指し、北上を始めた。
 
 熊本県の最北の道の駅「鹿北」で小休止。
 福岡県に越境してからの最初の道の駅「たちばな」にも立ち寄ったが、そこは山の中。「ジル」の屋根に取り付けている地デジアンテナが、これまでの経験上、地デジ電波を受信できそうにないと思われたため、少し距離があり、R3からは離れてしまうが、道の駅「くるめ」まで走った。
 そこは筑後平野の中で、大型車とそれ以外に分かれた駐車場になっており、それだけでも静かな夜を迎えられそうだと嬉しくなり、トイレに近い場所に「ジル」を停めた。そして先ず、地デジの受信状況を調べたところ、予想どおり、多くの地デジチャンネルを受信でき、ここは車中泊に相応しい道の駅だ。

 既に午後6時を過ぎており、駅舎のショップの営業が終わっていて、夕食のおかずを一品買うことができず、「ジル」に積み込んだ食品の在庫を調べて、冷蔵庫を開けた結果、パスタを作ることにした。しかし、それだけでは寂しいため、湯を沸かしてインスタントコーンスープを作ることにした。
 その準備中に時折、うるさいバイクが横の道を走るが、深夜は走らないだろう。
 そして、できあがったパスタを地デジを見ながら食べた。