悠々日和キャンピングカーの旅:⑭西日本の旅(北部九州)
臼杵湾に浮かぶ丹生島(にうじま)に建てられた当時は、四方を海に囲まれ、その姿から亀城とよばれたとのことだが、ここから見渡せる臼杵の町がかつて海だったとは到底思えなかった。
来た道を戻り、石段を下りてから、対面にある「観光交流プラザ」に入館した。
館内の「観光情報案内コーナー」に掲示されている写真や情報を暫く見た後で、その一角にある観光案内所で、臼杵の観光パンフレットを頂いた。その際に、古い町並みの「二王座界隈(におうざ・かいわい)」を勧められた。二言三言の会話だったが、マスクをしていた女性スタッフの目が素晴らしく美しいことが気になり、印象的だったことを今でも覚えている。
パンフレットのマップを見ながら、江戸時代から続く城下町として栄えた「二王座界隈」を散策することにした。
造り酒屋や趣のある商店が続く通りや寺院の並ぶ通りも散策し、そこにあった掲示板で、ここは国土交通省の都市景観100選に選ばれていることを知った。マップのとおりに歩いたはずだったが、途中で道に迷いながらも、訪れたい場所を見て回ることはできた。臼杵は歴史のある密度の高い町だった。
ちなみに、臼杵市の産業は造船業が盛んで、市内製造業全体の生産高の約7割を占めているとのことだ。リアス式海岸の最奥部にあるだから造船業に向いていたのかもしれない。
今度、臼杵に来る時は、造船工場のある海岸沿いの道を走ることにしよう。そして、話しのネタになるかもしれない国宝の石仏も見ておきたいと思った。
臼杵から再びR217で南下し、津久見に向かった。
市境のトンネルを抜けてから津久見の町に入ったあたりで、大きなカバーに覆われたベルトコンベアが国道の上を横切っていた。それは、山地で採掘された石灰岩が、その集積場から津久見湾沿いのセメント工場まで運ばれる仕掛けだ。その直後、山の方からドカン、ドカンと石灰岩を採掘している発破音がした。この津久見はセメント産業の町だ。
R217を右折してJR津久見駅に向かった。思いの外、小さな駅舎で、町のサイズも小さく感じられた。
ここまで「旅のメモ」を見ながら、この紀行文を書き進めてきて、津久見のことをちょっと調べようとネットで検索したところ、この津久見駅の階段を下りた場所に、元「かぐや姫」の伊勢正三の「なごり雪」の歌詞を刻んだ碑があることを知った。彼はここ津久見市の出身とのことで、卒業した高校は、今朝までお世話になった友人のN君と同じ高校だった。
「かぐや姫」の解散後、彼は元「猫」の大久保一久とふたりでフォークデュオ「風」を結成し、数々のヒット曲を生んだ。
私は実は、「かぐや姫」の中の伊勢正三のファンで、その後の「風」も好きだったこともあり、事前に知っていたならば、この歌碑をチェックしておきたかった。ただ、「なごり雪」については、イルカが歌うより伊勢正三が歌う方が好みだ。
ちなみに、彼の曲の中で好きなものは「君と歩いた青春」、「ささやかなこの人生」、「海岸通」、「ほおづえをつく女」、「22才の別れ」などで、誰もが知っている楽曲ばかりかもしれませんが、「ささやかなこの人生」はカラオケで90点以上を出したことがある。
R217に戻り、南下を再開したところ、左の車窓から見えた路地の奥に海が見えた。そういえば、津久見湾をまだ見ていなかったので、路地に入って堤防まで行って眺めたところ、対岸のセメント工場の岸壁にかなり大きな船が停泊していた。それが津久見らしい風景に感じて、その写真を撮った。
津久見と言えば、みかんの産地だと記憶していたので、走りながら山の斜面の果樹園を探したが見付けることができなかった。そこで少し調べたところ、場所の確定はできなかったが、ここ津久見は甘夏の発祥の地のようで、主要な農業はやはり柑橘類だった。そもそも広い平野がないので、山の斜面を活用した果樹園になったのだろう。
やがて、津久見市と佐伯市の市境の長目半島の津井トンネルと殿山トンネルを抜けてからは、お世話になったN君が住んでいる浅海井を通過し、佐伯市街に入った。そして、JR佐伯駅の隣の観光案内所に行き、佐伯市内の観光ポイントのパンフレットを入手した。
先ずは、昨夜、N君のクルマで走った武家屋敷を見たくて、そのあたりに向かい、観光案内所の人に教えてもらった無料の駐車場に「ジル」を停めて、マップを見ながら散策を開始した。
少し登らなければならない「佐伯城址」はパスして、「武家屋敷跡」や「国木田独歩の旧家」などを見て回り、「佐伯市城下町観光交流館」に立ち寄った。
そこは、自然と気分が落ち着ける場所で、かつては旅館だったためだからだろう。交流館の50代くらいの女性と、この場所のこと、「キャンピングカーの旅」のこと、色々な話題で30分も話していた。気付くと13時を回っており「ジル」に戻った。
そういえば、武家屋敷エリア内で、高校生や住民が観光客を見ると挨拶をしてくる。私も何度か挨拶された。嬉しいね。地元の女性がひとり同じ方向に歩いていたので、そのことを訊いたら、そんなものですよと教えてくれた。多分、親や先生から、佐伯を訪れる観光客を見たら挨拶をしなさいと教わって育ち、子供たちの習慣になったのだろう。
空腹を感じながら「ジル」に戻ってきた。既に午後1時を過ぎていて、手軽に食べられるカップ麺と鯖の味噌煮の缶詰が昼食だ。数分内にできあがり、それが美味しいとは、十分過ぎる昼食だ。
以上で、佐賀関半島から始まる大分県の豊後水道に面したリアス式海岸の主要な町の臼杵、津久見、佐伯を十分に味わうことができた。このリアス式海岸は宮崎県の北部までつながっている。
今から、阿蘇山の南のカルデラの南郷谷(なんごうだに)の道の駅「あそ望の郷くぎの」まで一気に走ることにした。
先ずは、佐伯ICから無料の東九州自動車道に乗った。この自動車道の殆どは中央分離帯のある上下2車線の対面通行で、制限時速は80km/hだ。いつもは下道をだいたい50km/h以下で走っているので、最初はこの制限時速がたいへん速く感じたが、時期に慣れた。
この自動車道は山間を走り、海岸近くも走るため、横風が強い箇所もあり、いきなり発生する横ブレに対応しながら走った。
気が付くと、県境を越えて宮崎県に入っていた。
延岡JCTから九州中央自動車道に入った。ここも無料なのが嬉しい。
まもなく、運転席の車窓から、山頂部が岩峰の山が見えた。大崩山(おおくえやま)だ。これは九州の中で最も長い縦走路の南東端の山だ。
大学生の頃、熊本から豊後竹田まで列車に乗り、バスかタクシーで登山口まで行き、テントも担いでひとり、この縦走路の西の祖母山(そぼさん)に登り、そこから傾山(かたむきやま)までを1泊2日で縦走したことがある。当時は、そこまでが縦走路だった気がするが、今はその南東の方角の大崩山まで縦走路が延伸したようだ。
その時の思い出を紹介する。
縦走路の中で確か1ヶ所だけ、近くに水場がある野営できる場所があった。登山口から祖母山などを登り、ガイドブックの所要時間より少し遅れて、そこにたどり着き、テントを張った。
作品名:悠々日和キャンピングカーの旅:⑭西日本の旅(北部九州) 作家名:静岡のとみちゃん



