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静岡のとみちゃん
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悠々日和キャンピングカーの旅:⑭西日本の旅(北部九州)

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■11/25(旅の18日目):大分県佐伯市 ⇒ 熊本県南阿蘇村(道の駅「あそ望の郷くぎの」)


【この日の旅のあらまし】 たいへんお世話になったN君と彼の嫁さんに別れを告げ、昨日通過した臼杵と津久見を見て回り、再びR217で南下して、佐伯の観光ポイントを訪ねた。R10は走らず、無料の東九州自動車道で越境して宮崎県に入り、無料の九州中央自動車道に乗り継ぎ、道の駅「北方よっちみろ屋」で小休止。高千穂では道の駅「高千穂」に立ち寄っただけで、九州山地を越えて熊本県に入り、阿蘇山の南郷谷(なんごうだに)の道の駅「あそ望の郷くぎの」で車中泊。【走行距離:202km】

【忘れられない出来事】 外輪山のトンネルを抜けてから見えてきた阿蘇山の南麓のカルデラの中の南郷谷が見えたときに懐かしさを感じたこと。

【旅の内容】 ぐっすりと眠ったようで、6時少し前に目が覚めた。最初に目に入ったのは、N君のギターだった。
 就寝した部屋は客間で、N君はそこでギターを弾いて歌っているようで、そのための椅子と譜面台、ギターケースや歌本などが置かれていた。ここは彼のアーティストルームだ。

 朝食は和食で、N君の家族と一緒に食べることになった。
 全てが美味しかったが、テーブルの上に、私向けのコップ一杯の青汁があったのが気になっていた。これまでに飲んだことはなく、大袈裟に言うとそれは未知の飲み物で、かなり躊躇っていて、朝食を美味しく食べ終えた時は、青汁だけが手付かずのまま残してしまった。
 その様子を見たN君は、体に良いからと勧めてくれ、牛乳と一緒ならば飲みやすくなると言いながら、牛乳を注いでくれた。牛乳はよく飲んでいるので、少しは飲んでも良いかと思ったものの、その時の雰囲気は、生まれて初めての青汁を飲まざるを得ない状況になっていた。
 一口飲んで、特に不味くはなく、飲み干すことができた。ごちそうさまでした。

 牛乳を一気に1リットル飲んでも下痢をしない私の胃腸であり、これまでに下痢をしたことを殆ど憶えていないほどだったが、この日は少し下痢気味だった。
 このことは、N君には伝えていない。それ以降、青汁は口にしていない。あの一杯が最初で最後の一杯になった。

 今日は仕事があるN君は6時50分に家を出た。まだまだ話し足らないのだが仕方がない。
 N君の嫁さんも今日は仕事があり、7時40分頃に家を出るので、それに合わせて、私も準備を進めて、彼女と一緒に家を出て、少し離れた場所に駐車していた「ジル」まで、彼女がクルマで送ってくれた。
 突然の連絡の数時間後にお邪魔して、このあたりの名所を案内して頂き、加えて美味しい海の幸までご馳走になった。本当に感謝、感謝、感謝だ。西語で最高級の感謝の言葉のムチシマ・グラシアスが相応しく、最後に、静岡に来てねと伝えた。

 彼女が去っていった後、先ずはコーヒーでも飲もうと、「ジル」のエントランスの横の収納庫を開けて、2本のガスボンベをセットしているガス供給器の元栓を開け、キッチンの横にある電磁式のガスの元栓も開けて、湯を沸かし始めた。
 沸くまでは、ダイネットのいつもの場所に座ったとき、ふと自宅に戻った気がした。ここが、これが、今の私の日常なのだと気が付いた。
 沸かした湯で作ったインスタントコーヒーを飲みながらロードマップを広げて、今日の旅のルートを考え始めた。色々と迷ったが、滅多に来られる場所でないため、昨日素通りした臼杵と津久見に向かうことにした。
 NHKの朝ドラ「カムカムエヴリバディ」を見た後、コーヒーカップを洗って、浅海井から海沿いのR217で北上を始めた。

 佐伯湾の北側の四浦半島の付け根を横切ると間もなく、津久見湾が見えてきた。その北側の長目半島(ながめ・はんとう)とこの四浦半島に挟まれた最奥部が津久見市の中心だ。
 この町の山地では石灰岩の採掘が行われ、良港を有することと相まって、セメント工場が立ち並び、セメント工業が発達している。
 R217からは、石灰岩の採掘によりピラミッド状になってしまった幾つかの山が見えた。走りながら、フロントガラス越しにそれらの山の写真を撮り、今日の最初の目的地の臼杵に向かった。

 R217は内陸に入り、暫く走ったあたりに「臼杵市街」の案内表示があり、ハンドルを切ると、進行方向の先の方に、草に覆われた石垣と白い建物が見えてきた。そこは多分「臼杵城跡」だろう。後で行ってみることにした。
 その手前の交差点を右折して、「港町商店街」と書かれたアーチ看板の下を抜けてから、朝の商店街の道をゆっくりと走った。まだシャッターが開いていないのか、閉店したのかの判断は難しかったが、どことなく、シャッター通りの雰囲気が少し漂う寂しい感じの通りで、その出口あたりに赤い大きな鳥居が見えてきた。その先の交差点を右に曲がるとJR臼杵駅にたどり着いた。

 駅前のロータリーを旋回している時、臼杵観光の目玉の「臼杵大仏」、正式には「臼杵磨崖仏(うすき・まがいぶつ)」といい、岩肌に直接彫り込まれた仏像を指すのだが、目の前のものは原寸大のレプリカで、それでも、ちょっと停止して写真を撮った。
 後で調べたところ、それは「大日如来像」で、駅舎から出てくる観光客を出迎える感じで、鎮座していた。

 この臼杵には、中学生の頃の思い出がある。
 中学校のクラスの仲の良いひとりの男子が、臼杵の同い年の女子と文通していた。その女子の女友達が文通相手を探していて、彼から頼まれたことがきっかけで、私も臼杵の女子との文通が始まった。
 当時、知らない人と文通することを「ペンパル」と言っていた気がするが、今のマッチングで会うような関係ではなく、顔も知らない相手との不定期な手紙での文通で、お互いのことなどを書いた手紙を交わすような関係だった。そういえば、小学校の高学年から中学生が読む雑誌には、ペンパル募集のコーナーをよく見掛けた記憶がある。
 中には、ペンパル相手と会うような関係もあったようだが、私の場合は、はっきりと憶えていないが、1ヶ月に一度くらい手紙を書いていたようで、どちらからなのかは憶えていないが、フェイドアウトしてしまった。多分、手紙を認めることに慣れていなかったのか、手紙の内容に興味がなかったのか憶えていないが、それでも半年くらいの関係だった気がする。

 JR臼杵駅から「臼杵城跡」をぐるりと回りながら駐車場を探していると、「臼杵城跡」の入口の正面にある「観光交流プラザ」の駐車場が空いていたので、そこに停めてから「臼杵城跡」に向かった。
 以前はぐるりと濠と石垣があり、その上に城郭があったのだろうが、今は東西に長い曲輪(くるわ:「郭」とも書く)の西側のみに濠が残っているようで、それに架かる石橋を渡った。
 その正面に見えたのは、敵を向かい撃つには格好の石垣と城郭で、その下の石段を登り、濠に面した石垣の手前で左に回り、登り詰めると大門にたどり着いた。
 テーブル状の曲輪には、二の丸、護国神社、そして大友宗麟公碑があり、その先まで進み、空堀の奥に天守台が残っていた。
 この城は、東九州一円に絶大な権勢を誇ったキリシタン大名の大友宗麟によって築城されたことを思い出した。