女教授の初体験
体が硬い、ぎこちない、反応しない、花芯に充てても濡れてない、男ははてな、と困った。
「舐めようか」
初めからそういうことはさけたいところだが、女に声をかける。
「いや、だめ」
「いつもこんなの」
「久しぶりやから」
女は断る。
男は女の立場に同情した。
濡れてないときは困る。女も面白くないし、男は落ち込むだろう。女は入り口をぎゅっと締めているのだった。入らないようにしているのを悟られたくない。これも攻防だ。濡れていては勘違いされる、濡れすぎるのは男の勘違いを生む、主導権を握られてしまう。男に主導権をわたしてはつまらない、この冒険を楽しみたい、女の思慮は深かった。男は女が濡れるとすぐに調子にのり女を馬鹿にする傾向があり、セックスは男の身勝手なものとの考えが身に染みている。
「ゆっくりしようか」
男は引き上げた。女は作戦が大成功したと心の中で快哉した。がまんができずに無理やりという場面も想定していたが、強引ならすべてばれてしまう。
男は段取りを思案した。セックスができなくても仕方ない、慌てることはないだろう。
「ごめんなさい、緊張してしまって」
女は弁解した。真剣にうそをつく、演技も実演だ。ここを拒んでも男はあきらめないと踏んでいる。
「お風呂に入って、夕日を眺めようか」
「そうしましょう」
部屋に戻ると夕食が準備してあった。明石のお酒も並んでいる。
「飲みましょう、遅くなっても大丈夫」
「不倫旅行みたいやね」
「なんで」
頓珍漢な会話だった。
名物の牡蠣料理を味わうと互いに視線を交わした。
「もう一回、挑戦してみよう」
「いいですよ、そうしましょう」
女はいつもの癖で標準語を使った。
裸になって布団に入った。男は体を重ねると、ゆっくり入れようとした。
入り口には抵抗感があったが、かまわず侵入したら、歓迎されているようだった。
「入りそう」
男は女に声をかける。
「ゆっくりで」
皮膚がこすれあうようだが進む。
「熱い」
男は思わず声を上げた。女は思いつめたような表情をしている。何かに耐えているようで、かわいいと感じた。
「動こうか」
男は動きたかった。
「じっとしてて、お願い」
まもなく全身を震わせる。女は声を押し殺している。
女は男に「出血したのよ」と説明した。男は驚いた。謎が増えたのだ。謎が解けないまま。
男は女教授が処女であったことを想像もできなかった。初体験だから、狭くてこすれる摩擦が射精を誘っただろう。
女教授の、男根との遭遇、性交初体験は幸せに完了した。
男との小旅行はつごう三回目となった。
「腰を使ってんのか」
男は女をなぶる。
「あ、あ」
からだ全体が官能を表現しようとしている。まるで自然に動きだしたように。
「また、いったんか」
「また、いった」
女は喜びを男に伝えた。
男はほとんど何もせず、女だけが頂上に向かっている。男にはこういう場面は初めてだ。セックスの終わり方に工夫がいる、暗黒文学で鍛えた巧者ぶりをおしえてやらねば、セックスだけの男にはどんなにていねいに説明しても効き目はないからだ。
女の作戦は大成功だった。男に深い余韻を残すことができた、しかも未練たっぷりに。女主導のセックスは初めてだった。感動的なほどの体験であり、自信が付いた。まるで世界が変わったかのようだとさえ思った。思考が解放されると体もそれに伴い解き放たれるのだろうか、女は自問した。
演習はほぼ段取りよく進んだが、まだ心もとない。頭から生まれてくる性欲というものがあるにちがいない、その着想にわれながら感心した。第四幕を構想する。
「濡れてる?」
と尋ねる。
「さあどうでしょう、たしかめて」
女は答えて男の手を振り払った。
女を甘く見ている男に人生巧者ぶりをおしえてやらねばならない。頭でたっぷり演習してきたからこれからは実技だ。
セックスが乾ききった人間関係を潤す海になることがまれにある、という一文を思い出した。さて誰の作品だったか、思い出そうとするが思い出せなかった。
女が自分に言って聞かせるように、セックスの物語を話すときは、どうでもよい男かそうでなければやさしい男に限られる。嘘で脚色された創作だからだ。賢くて経験が豊富な男は、女の嘘も楽しむのだが、女は盛り上がらない。
翌朝、大きなうんこが出た。気分がすっきりする。出し切った後のこの感覚は女も味わえるのだ。院生時代に言い寄ってきたイケメンの法学部生だった。初めてのキス、舌なら唾液とまじりあい刺激に慣れる、あの感覚が蘇った。不思議なことを思いだすものだ、なぜだろうと自問する。ダムの決壊が記憶の封印を解いたかもしれないと考えた。
異常を好むわけではない、暗黒文学はあくまで作品だ。相手を変えればときめくだろうか、自信が生まれた女はカオスを目指す。
男との度重なるセックスで、頭で考えて感じると体がハイレベルの反応を示すようになることが分かった。大きな成果だ。女性の解放を夢見た近代黎明期の作家たちの世界に思いをはせる。彼女たちの作品は、かつては文学であったが、いまは世界を変える武器となった。
あの頃の男たちはいつも正しそうに見えた。概念や体系がしっかりいているから、世界の出来事を自らの解釈で説明しきる。しかし男の正しさが女の正しさとは限らない。体は自分自身のものだ。誰かに独占されるというものではない。東大教授のフェミニストが婚外性交の権利と声高に話していたことを思い出す。その時は他人事だった。
言葉が力を持つということがあるだろう。それは武器なき人にこそふさわしい。体を誰かに独占されているとしたら、それはその誰かの物語の断片にすぎなくなる。婚外性交権の行使は、女が潜在的に抱く男性への違和感の根源に突き当たり、違和感の溶解、解消のプロセスは、自分自身にしか見ることができない世界があることを証明するだろう。
男は巧みに世界を解釈してきたが、それは変革ではない。女の言葉は解釈ではなく、世界を変えるのだ。いまにわかるだろう、わからせて見せると、女はつぶやいた。



