女教授の初体験
女教授の初体験
湖西線の車窓から近江の湖を眺めている。湖面は陽光を照り返しては吸収しながら初冬を演出していた。
男の手が伸びてきて手を重ねた。やさしいふるまいであったからその感覚を楽しんだ。視線は彼方を向いていて手だけが別のことを考えている。頭と手とがはっきり分かれて思考している。頭脳と官能との二重構造についての授業を思い起こした。
女の手を男の手が太ももに導いて、硬いものに触れさせた。ためらったがそのまま男の動きに委ねた。女は、男根の形を確かめたのは初めての体験であったから緊張したが、とても告白できず、列車の中でもあり男が堂々としていたので静観することにした。静と動とが同時進行する。男根の熱さや長さを頭の中でなぞった。先端の感覚を頭の中で再編集しているのだ。集積された知識に実践を組み込む。自分に対して性欲をみなぎらせているのは、女教授に自信をもたらす。性欲を客観視し抑制的にふるまえる。
男根は男とは別の生き物のように感じされた。男はこのような生き物を飼っているのだろうかと感動すら覚えた。しかしこのような感動に振り回されないようにしなければならない。男へ従属するシナリオはありえない。その場面がきたらそこで中断すればよいのだ。
今日は男の誘いで湖岸のひなびた温泉に向かっている。大学の定年を目前にして達成感とともに虚脱感も生まれていた。先生と呼ばれて40年になろうとしている。友人たちと会食していても、店のどこかから聞こえてくる「せんせい」とのことばに反応し身構えてしまうのだった。
男は一回り年が離れていて、全体的に柔らかい印象だったから、初体験の相手に選んだ。純米酒を楽しむ会で知り合った。例会でのある時、「先生みたいなしゃべり方、やめてくれへん」と言われたことがないような表現を投げつけられて動揺したが「どうしたらいいのですか」と反論気味に尋ねたら「トーンをおとしたらええんちゃうか」。学生相手のしゃべり方が身に沁みついていたから教員生活を卒業しようといている自分には貴重な忠告のように思えて受入れた。その会話から親しくなった。
女教授の専門は18世紀フェミニズム文学、娼婦とか性欲とかを自在に操って講義し人気講座であった。しかし性交経験はない。ないまま知識だけが深まっていった。定年を迎えようとしてこの矛盾に気が付いた。
「わけのわからん、やつやなあ」。東向きのバルコニーから京都の市街を見渡しながら、ふいに出てきた言葉に驚いた。ふだん使わない、とても口に出してはいけないことばのはずが、頭の隅にしまい込まれていたのか、吹きあがってしまった。声も大きかったから、誰もいないはずの家の中を見まわした。何かストレスを解消しようとするような、誰かを攻撃するようでもあり、自身が情緒不安定かもしれないと疑った。嫌味を言うことはあっても他人を攻撃することはない、それが教員の習性である。内面のアンバランスにとどまらず、形あるものが壊れそうな予感に包まれた。
女は院生時代、恋人のような同級生から「俺を追い越すなよ」と、厳しい表情で思いつめたように言葉を投げかけられた。同級生は普段はやさしい目をしているが、時に物事を見通そうとするまなざしを向けてくることがあった。女はきょとんとして、思い当たることがなく、「何、言ってんの」と言い返した。同級生は黙った。女は決めた。同級生のこの言葉で決めたのだ。とにかく決めた。もう迷いはない。学会の運営について喜々として話している姿を、同級生は実は苦々しく見ていたのだ。研究成果もひょっとしたら自分のおかげもあるのだと同級生は思っていた節がある。こうした同級生の思い込みをかわいいとさえ感じたものだ。指導教授との不倫を疑われたときより、この言葉は重大だ。この言葉は、男女関係を規定しようとしているのであり、現在の関係を転倒させるなとの警告なのだ。不倫を問い詰められたときもいやな気分ではあった。不倫騒動では、同級生が抱いているであろう自分への関心に満足し、優位に立つ思いでもあったから許容できたし、じっさい、不倫はなかった。
相手のなにかを否定的に見るようになれば、何もかもが受け入れがたくなってくる。同志を裏切って闘争から離脱し教授にとりいったことも、許せなくなった。そのころ女は若かったから、世間とはそんなものだと割り切ることができ、同級生の転向に異議を抱くことなく納得していた。ノンポリだったし、周りの人が使う言葉が難しくてわからなかったせいもある。そういうことの一つひとつが積み重なっていき、ある時、ダムを超えて奔流があふれ出す。感情が勢いを持つ、それは力だ。鴨川の穏やかな水面と堰を落下する乱れを見つつ、水はカオスとコスモスの両極を演出することができると思った。
湖面は穏やかでコスモスだが、温泉では波乱がおきてカオスになるのだろうと女は考えた。未体験ゾ-ンなので予想もつかない。流れに任せるほかない。自分が処女であることは言えないし言いたくない。
家族風呂を用意してくれたので、その脚本にしたがった。男が先に入って湯船につかっている。女は端からそっと湯に体を沈めた。男は湯から出て縁に座った。男根が直立しエネルギーに満ちあふれているのがわかったが、どうしてよいのか見当がつかない。女は離れたまま温泉に浸っていた。「こっちへ来たら」と手招きした。想定の段取りだ。お湯の中を移動した。二入だけなので安心だと言い聞かせた。
女が体を寄せてくると男はごく自然に「なめて」と注文してきたのだった。さて女は戸惑う。なめるということがよくわからない、男根にふれるのだろうと理解はできた。なめるのだと自分に命令した。なにより好奇心いっぱいであったから男の注文にしたがった。
唇で軽く触れる。おそるおそるの女の動きに男は「いい」と反応した。そんなものかと思いながら事態を進めていく。口に含むと「すごくいい」と男がつぶやいた。この言葉に触発されて気持ちがこもっていく。口の感覚を総動員して男根の厚みや長さをじかに感じ取った。車中のできごととは異次元の展開である。皮膚と皮膚とが直接に接している。この感覚なら体も受け入れるだろうと思った。臆病で丁寧な女の唇の動きに男は感じていることがわかった。
思考方法の癖かどうか、男に見下ろされながら男根をなめるのは、支配されているようで同意できない行為だから、どこかで適当に終わらせるつもりだった。誰かが口唇性交は男女関係の支配構造を表現しているとか言ったのを思い出したが、自分は違うと女は考えることができた。
「うまい、どこで覚えたん?」、男は女のこのような思考を知らずに、そのソフトな感覚に浸っている。上手だと比較されても、この男の経験との差に言葉を発しようがない。「そこが一番、感じる」、男はくびれたところを示した。液体が染み出ている、これはバリトリン腺かと学習した。亀頭はつるつるで唇になじみやすい。クリトリスと同じ構成だとの解説が浮かんできた。今は理解できる。皮膚がつながっていくような不思議な感覚だった。同時に自分の皮膚の下に膨大な性感帯が広がるようでもあった。皮膚を挟んで肉体と肉体が絡まっていくように感じられた。
湖西線の車窓から近江の湖を眺めている。湖面は陽光を照り返しては吸収しながら初冬を演出していた。
男の手が伸びてきて手を重ねた。やさしいふるまいであったからその感覚を楽しんだ。視線は彼方を向いていて手だけが別のことを考えている。頭と手とがはっきり分かれて思考している。頭脳と官能との二重構造についての授業を思い起こした。
女の手を男の手が太ももに導いて、硬いものに触れさせた。ためらったがそのまま男の動きに委ねた。女は、男根の形を確かめたのは初めての体験であったから緊張したが、とても告白できず、列車の中でもあり男が堂々としていたので静観することにした。静と動とが同時進行する。男根の熱さや長さを頭の中でなぞった。先端の感覚を頭の中で再編集しているのだ。集積された知識に実践を組み込む。自分に対して性欲をみなぎらせているのは、女教授に自信をもたらす。性欲を客観視し抑制的にふるまえる。
男根は男とは別の生き物のように感じされた。男はこのような生き物を飼っているのだろうかと感動すら覚えた。しかしこのような感動に振り回されないようにしなければならない。男へ従属するシナリオはありえない。その場面がきたらそこで中断すればよいのだ。
今日は男の誘いで湖岸のひなびた温泉に向かっている。大学の定年を目前にして達成感とともに虚脱感も生まれていた。先生と呼ばれて40年になろうとしている。友人たちと会食していても、店のどこかから聞こえてくる「せんせい」とのことばに反応し身構えてしまうのだった。
男は一回り年が離れていて、全体的に柔らかい印象だったから、初体験の相手に選んだ。純米酒を楽しむ会で知り合った。例会でのある時、「先生みたいなしゃべり方、やめてくれへん」と言われたことがないような表現を投げつけられて動揺したが「どうしたらいいのですか」と反論気味に尋ねたら「トーンをおとしたらええんちゃうか」。学生相手のしゃべり方が身に沁みついていたから教員生活を卒業しようといている自分には貴重な忠告のように思えて受入れた。その会話から親しくなった。
女教授の専門は18世紀フェミニズム文学、娼婦とか性欲とかを自在に操って講義し人気講座であった。しかし性交経験はない。ないまま知識だけが深まっていった。定年を迎えようとしてこの矛盾に気が付いた。
「わけのわからん、やつやなあ」。東向きのバルコニーから京都の市街を見渡しながら、ふいに出てきた言葉に驚いた。ふだん使わない、とても口に出してはいけないことばのはずが、頭の隅にしまい込まれていたのか、吹きあがってしまった。声も大きかったから、誰もいないはずの家の中を見まわした。何かストレスを解消しようとするような、誰かを攻撃するようでもあり、自身が情緒不安定かもしれないと疑った。嫌味を言うことはあっても他人を攻撃することはない、それが教員の習性である。内面のアンバランスにとどまらず、形あるものが壊れそうな予感に包まれた。
女は院生時代、恋人のような同級生から「俺を追い越すなよ」と、厳しい表情で思いつめたように言葉を投げかけられた。同級生は普段はやさしい目をしているが、時に物事を見通そうとするまなざしを向けてくることがあった。女はきょとんとして、思い当たることがなく、「何、言ってんの」と言い返した。同級生は黙った。女は決めた。同級生のこの言葉で決めたのだ。とにかく決めた。もう迷いはない。学会の運営について喜々として話している姿を、同級生は実は苦々しく見ていたのだ。研究成果もひょっとしたら自分のおかげもあるのだと同級生は思っていた節がある。こうした同級生の思い込みをかわいいとさえ感じたものだ。指導教授との不倫を疑われたときより、この言葉は重大だ。この言葉は、男女関係を規定しようとしているのであり、現在の関係を転倒させるなとの警告なのだ。不倫を問い詰められたときもいやな気分ではあった。不倫騒動では、同級生が抱いているであろう自分への関心に満足し、優位に立つ思いでもあったから許容できたし、じっさい、不倫はなかった。
相手のなにかを否定的に見るようになれば、何もかもが受け入れがたくなってくる。同志を裏切って闘争から離脱し教授にとりいったことも、許せなくなった。そのころ女は若かったから、世間とはそんなものだと割り切ることができ、同級生の転向に異議を抱くことなく納得していた。ノンポリだったし、周りの人が使う言葉が難しくてわからなかったせいもある。そういうことの一つひとつが積み重なっていき、ある時、ダムを超えて奔流があふれ出す。感情が勢いを持つ、それは力だ。鴨川の穏やかな水面と堰を落下する乱れを見つつ、水はカオスとコスモスの両極を演出することができると思った。
湖面は穏やかでコスモスだが、温泉では波乱がおきてカオスになるのだろうと女は考えた。未体験ゾ-ンなので予想もつかない。流れに任せるほかない。自分が処女であることは言えないし言いたくない。
家族風呂を用意してくれたので、その脚本にしたがった。男が先に入って湯船につかっている。女は端からそっと湯に体を沈めた。男は湯から出て縁に座った。男根が直立しエネルギーに満ちあふれているのがわかったが、どうしてよいのか見当がつかない。女は離れたまま温泉に浸っていた。「こっちへ来たら」と手招きした。想定の段取りだ。お湯の中を移動した。二入だけなので安心だと言い聞かせた。
女が体を寄せてくると男はごく自然に「なめて」と注文してきたのだった。さて女は戸惑う。なめるということがよくわからない、男根にふれるのだろうと理解はできた。なめるのだと自分に命令した。なにより好奇心いっぱいであったから男の注文にしたがった。
唇で軽く触れる。おそるおそるの女の動きに男は「いい」と反応した。そんなものかと思いながら事態を進めていく。口に含むと「すごくいい」と男がつぶやいた。この言葉に触発されて気持ちがこもっていく。口の感覚を総動員して男根の厚みや長さをじかに感じ取った。車中のできごととは異次元の展開である。皮膚と皮膚とが直接に接している。この感覚なら体も受け入れるだろうと思った。臆病で丁寧な女の唇の動きに男は感じていることがわかった。
思考方法の癖かどうか、男に見下ろされながら男根をなめるのは、支配されているようで同意できない行為だから、どこかで適当に終わらせるつもりだった。誰かが口唇性交は男女関係の支配構造を表現しているとか言ったのを思い出したが、自分は違うと女は考えることができた。
「うまい、どこで覚えたん?」、男は女のこのような思考を知らずに、そのソフトな感覚に浸っている。上手だと比較されても、この男の経験との差に言葉を発しようがない。「そこが一番、感じる」、男はくびれたところを示した。液体が染み出ている、これはバリトリン腺かと学習した。亀頭はつるつるで唇になじみやすい。クリトリスと同じ構成だとの解説が浮かんできた。今は理解できる。皮膚がつながっていくような不思議な感覚だった。同時に自分の皮膚の下に膨大な性感帯が広がるようでもあった。皮膚を挟んで肉体と肉体が絡まっていくように感じられた。



