ヒトサシユビの森
スツールが火柱をあげ、窓のカーテンや壁面の写真に燃え移った。
屋根の梁が火焔に炙られ、棚に置かれたウルトラマンが熱で溶け始めた。
室内は、燃え盛る炎の光と黒煙に包まれた。
健市は車に乗りこむ前に、ライフル銃を携えて森に入った。
仕掛けのある場所まで行くと、成獣のクマが罠にかかっていた。
健市は罠の扉を開放した。
「さあ、森へお帰り」
クマは健市に襲いかかる素振りを見せたが、健市が銃を構えたので、のしのしと樹林へ消えた。
丸太小屋は窓を突き破った炎が壁面を覆い、屋根にまで燃え広がりつつあった。
健市は燃える丸太小屋を一瞥し、車のエンジンをかけた。
運転席に身を沈め、ヘッドライトを点けた。
フロントグリルの両端に大小2つずつ、併せて4つのライトが光を放つ。
なす術なく炎に包まれるであろうかざねの姿を確かめるため、丸太小屋を半周した。
捕らわれた身でありながら、かざねにはまだ闘志があった。
健市は車から降りて、かざねに近づいた、
額から流れるかざねの血に健市が触れようとしたとき、かざねは健市に唾を吐いた。
顔にかかった唾を拭いながら、健市はかざねの喉元を掴んだ。
「蛭間さん」
亮太が叫んだ。
健市は、かざねの喉元を掴む手を緩めた。
「何だ、亮太。言い残すことでもあるのか」
「蛭間さん。あんた偉いんだろ。あんた町会議員なんだろ。なんでこんなことするんだ?」
「俺はな亮太、町会議員では収まらない。もっと大物になる。大物になってこの国を動かす」
「なら俺たちのことは放っておいて、勝手にやればいい」
「俺の邪魔をする奴は、誰であろうと許さない。お前たちは俺の邪魔をした。そういうことだ」
火の粉が散って、健市の腕に降りかかった。
健市は、かざねの首から手を離した。
「お遊びの時間は終わりだ」
健市はソアラのドアを開けた。
振り向いて、かざねと亮太に言った。
「なあに、お前たちの死は無駄にはしない。いぶき殺しの罪を被ってもらう」
4つのヘッドライトを光らせて、ソアラは走り去った。
パチパチと音をたてて、炎が丸太小屋を食い尽くす。
屋根が崩落すればひとたまりもない。
かざねは吊るされた状態からの脱出に腐心した。
12年前も同じ状態にされた。
その時は梁に足を絡めて、口で縄の結び目を解くことができた。
過去と同じチャレンジを、かざねは試みた。
だが地面に爪先しか接地してない状態では、跳ねあげる足に勢いがつかなかった。
炎はすぐ傍に迫っていた。
かざねは身体を前後に大きく揺らした。
足を地につけず、ブランコの要領で揺れを大きくした。
最後に小屋の外壁を力いっぱい蹴った。
かざねの身体は大きく外側に振れた。
戻る勢いで足を、精いっぱい梁に伸ばす。
届いた。
かざねは梁を両足で挟み、そして巻きつけた。
手首の結び目に口を近づけた。
だが手首のロープは血が滲むほど、皮膚に食いこんでいた。
結び目もきつくなっており、簡単に解けそうになかった。
それでもかざねはロープに噛みついた。
噛みちぎるしかないと、かざねは思った。
手首のロープの結び目が、少しずつ緩んできた。
結び目に空間が生じたかと思うと、かざねは背中から地面に落下した。
頭の上から炎に包まれた大きな材木が落ちてきた。
かざねは間一髪で、落下物を避けた。
手首のロープはきれいに外れていた。
丸太小屋から離れ、ソアラのテールランプを探した。
だが、見えなかった。
仮にソアラが高速に乗るとしたら、ここからだと県道に出る以外ない。
来た道を戻れば、天狗岳の登坂ルートを迂回するソアラに追いつけるかもしれない。
かざねは燃える丸太小屋を後にした。
「あい、かざね。俺、俺」
地面にもんどりうって、亮太がかざねを呼びとめた。
亮太に出鼻をくじかれたかざねは
「うるさい。急いでんの」
亮太を置いて、森のなかに分け入った。
「おい、マジかよ」
亮太は燃え落ちる丸太小屋を眺めて、溜息をついた。



