ヒトサシユビの森
稲山神社がある稲荷山から小暮沢を経て天狗岳に連なる山々の懐に、ポツンと一軒の丸太小屋がある。
周辺は、アラカシやカラマツが群生する深い森だ。
丸太小屋の周りだけ樹木が伐採されて、開拓されている。
丸太小屋は住居用ではない。
山で猟をする者たちが銃の手入れをしたり、軽い傷の手当をする休息場所であった。
また害獣を捕獲するためのロープや檻など、道具の保管場所としても使われた。
疲れた体を休めたり、仮眠をとることもあったため、敷地の周囲には害獣除けの仕掛けが張り巡らされていた。
熊や猪などの獣が仕掛けの糸に触れると、木の枝に吊るされたウインドチャイムが鳴る仕組みである。
大抵の獣は音に驚いて立ち去るが、音を怖がらない獣は、猟師の的になった。
丸太小屋は切りだした丸太や、加工した木材で建てられたものだった。
極めて堅牢な造りである。
夜空がほのかに白み始めた時刻だった。
丸太小屋に健市を含めた4人の姿があった。
健市は木製のテーブルに両手をつき、頭を下げた。
「こんなことを頼めるのは、お前たちだけだ」
「水臭いこと言うなよ、健市」
「皆を巻きこんじまって、すまん」
「僕は健ちゃんについていく。そう決めてたから」
玉井が語気を強めた。
健市は、テーブルに置かれた検査機関の茶封筒を掴んで丸めた。
その下部を、オイルライターの火で炙った。
茶封筒が炎に包まれると、健市は燃え残りごとそれをブリキのバケツの投げ捨てた。
「みんな、この件は忘れてくれ。何もかも俺ひとりの責任だ」
「健市、俺たちは仲間だ。お前と同じ罪を被る覚悟はできている」
「まさかな。神様のいたずらかよ」
玉井は部屋の隅にある害獣捕獲用の檻を見つめた。
腰の高さほどに檻の中で、小さな子どもが立て膝の姿勢で震えていた。
目隠しをされ、両手両足を縄で縛られたさちやであった。
さちやの傍に、臨戦態勢のウルトラマンのフィギュアが転がっていた。
「で、どうするんだ、この子?」
「海外に売り飛ばす」
「人身売買のブローカーにツテはあるのか」
「ああ、ぬかりない。もうすぐ連絡がくる」
「そうか」
「だからお前たち、もう帰っていいぞ」
健市の不安げや仕草を見て、坂口が心配した。
「健市、一緒にいなくて大丈夫か」
「大丈夫だ。さあ」
健市は坂口ら三人を、戸外に出るよう促した。
三人は後ろ髪を引かれる思いで、小屋から立ち去った。
彼らが遠ざかるのを板窓の隙間から確かめて、健市は入口をしっかり閉めた。
クリップライトを点灯させて、坂口たちは森の小径を慎重に歩いた。
歩きながら、玉井が口を開いた。
「生物学上的には、父親になるんだよな」
「じっくり見たわけじゃないが、面影はなかったな」
「かわいい顔はしてた」
暗い森であるが、狩猟などで何度も足を踏み入れた土地であった。
なので道に迷うこともなく、坂口たちは順調に山を下った。
川を渡る吊り橋に差しかかった頃である。
茂木が言った。
「なんか、健坊、様子が変じゃなかった?」
「まあ、子どもを拉致するとか、異常な体験だからな」
「や、そういうんじゃなくて・・・」
「慎平も感じたか」
「あんな緊張してる健坊見たの、初めてな気がする」
「あいつ、もしかして・・・」
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