ヒトサシユビの森
佐治を乗せた黒塗りの車とパトカーなど神室署の警察車両4台が、国道を石束町に向かって走行していた。
サイレンを鳴らし、猛スピードで市と町の境を越えた。
石束総合病院では、室町がひとり沈鬱な表情で、雪乃の病室から廊下に出てきた。
廊下で待機している安田に
「しっかりここを護ってちょうだい」
と言い残して、階下に降りた。
室町が病院玄関まで戻ると、佐治たちの車が病院に到着したところだった。
佐治が長身を屈めて、車から降りた。
室町が先に切りだした。
「佐治さん、どうしていらしたの? ここは石束署の管轄ですけど」
佐治は口を歪めて微笑んだ。
「逮捕状が出たんだよ」
「誰に?」
佐治は逮捕令状を室町に見えるように掲げた。
「かざねだ。溝端かざねにだよ。ここにいるんだろ」
「さあね」
室町はしらを切った。
「室町さん。あんたがここにいるってことは、かざねもここにいるってことだよな」
「佐治さん、聞いて」
「随分、警官の数集めたじゃないか。それほどまでしてかざねを護りたいのか」
「かざねさんのお母さんね、いま臨終の間際なの。もう少し待ってあげて」
「室町さん、俺たちは与えられた職務を粛々と遂行するだけだ。邪魔するな」
「佐治さん、あんたには人の心ってものがないの?」
「甘いんだよ、室町警部。そんなんだから、警視に昇進できないんじゃないのか」
「関係ない」
石束総合病院の玄関に少なからず人が集まってきた。
耳の早いマスコミ関係者や一般市民、病院を訪れた高齢者などが、野次馬となって取り巻いた。
その野次馬のなかに、亮太がいた。
亮太は、佐治と室町のやり取りを傍目で聞きながら、あたかも年寄りの付き添いを装って病院内に入った。
エレベーターを使わず、階段で2階にあがった。
階段室からそっと廊下を覗く。
ソファベンチに誰もいなかった。
安田は廊下の窓際に立ち、背中を向けて外の様子を窺っていた。
一方、雪乃の病室では、ベッドの脇でかざねが佇んでいた。
数日の間に、雪乃の心臓が停止することが幾度となくあった。
その度に蘇生術が施され、雪乃は息を吹き返した。
医者はかざねに告げた。
「今度心臓が停まったら、もう、おそらく・・・」
酸素吸入器をつけた雪乃が、ベッドで目を閉じて横たわっている。
その横では、看護師が弱まりつつある脈拍と呼吸のデータをモニターしていた。
病室のドアが細く開いた。
亮太は素早く雪乃の病室に入り、ドアを閉めた。
かざねは不意の侵入者に驚いた。
亮太は顔を隠したフードとキャップを外した。
「亮太?」
「あの、面会謝絶なので・・・」
看護師が立ちあがって、亮太に言った。
「いいの。いいんです」
かざねが看護師を制して、面会の許可を求めた。
看護師は不承知ながら、椅子に座りなおした。
亮太はかざねの傍に立ち、ベッドに臥す雪乃を見て言った。
「お母さんの具合は?」
かざねは首を横に振った。
「よくない。もう最期かもしれない」
「そうか・・・」
亮太は一旦はかざねの気持ちに寄り添ったが、急迫した事態をかざねに説明しなければならないことを思いだした。
「かざね、窓から下を見て」
亮太に促されて、カーテンの隙間から下を見た。
数台の警察車両と人垣が見えた。
男女が言い争う声も聞こえてきた。
男の声に、かざねは聞き憶えがあった。
「かざね、お前を逮捕するって。怖い顔した刑事さんが」
「あたしを?」
なぜ自分が逮捕されなければいけないのか、かざねには理解できなかった。
ただ理由がなんであれ、佐治という男の取り調べは二度と受けたくなかった。
言い争う男の声を聞いて、かざねは過去の屈辱的な出来事を思いだした。
「かざね、俺を信じてくれるか」
「何、急に」
「だから、俺がいまから言うことを信じてほしい」
「どうしたの?」
「いぶきちゃんは生きてる」
「え?」
「いぶきちゃんは死んでない」
「亮太、そんな慰めは要らない」
「警察の言うことを鵜呑みにするな」
「でも・・・」
「あれは偽装なんだ」
「でも白骨遺体が出たんでしょう?」
「あれは・・・」
と言って亮太は間を置いた。
かざねから視線を外して、小声で言った。
「あれは、さちやちゃん・・・」
「さちや・・・?」
「犯人がさちやちゃんの遺体を使って、いぶきちゃんの死を偽装したんだ」
「でも、警察の方が・・・」
「聞いたんだ、犯人の口からと直接。だから嘘じゃない」
「さちやが、死んだ・・・」
我が子の遺骸を見ていない以上、まだどこかで生きているのではないかと、かざねは一縷の望みを抱いていた。
「さちやはもう、戻ってこないの?」
かざねは亮太の目ををじっと見つめた。
亮太は静かに頷いた。
「さちやちゃんの死は、俺も本当に悔しいよ」
かざねは茫然として立ち尽くした。
「かざね、かざね」
亮太は我を失ったかざねに呼びかけた。
振り返ったかざねの頬を、大粒の涙が流れた。
「時間がない。ここにいたら、あの刑事にお前逮捕されちまう」
「あたし、何も悪いことしてない」
かざねは涙を拭った。
「そんなことはわかってる。ただ警察がヘボなんだ。いますぐいぶきちゃんを助けに行かないと」
「いぶきが生きてるって、本当なの?」
「本当だ」
亮太は真剣な眼差しで答えた。
「これからいぶきちゃんを取り返しに行く。かざね、お前も一緒に来てくれ」
「これから・・・?」
かざねは、目を閉じたままの雪乃を振り返った。
雪乃は、医療措置でかろうじて生命を繋ぎとめている状態だった。
いつこと切れてもおかしくなかった。
かざねは雪乃の手をとった。
「母さん、あたしどうすればいいの?」
体温のない雪乃の手に、わずかな温かみがさした。
雪乃の手が、そっとかざねの手を握り返してくる感触を、かざねは感じた。
「母さん」
雪乃は目を閉じたままだ。
かざねは雪乃の手を、そっとシーツの中に隠した。
「ごめんね、母さん」
かざねは振り向いて、亮太に言った。
「行きましょう」
亮太は病床の雪乃に深々と頭を下げ、かざねの手を掴んだ。
病室のドアを少し開けて廊下を見る。
ソファベンチに安田はいなかった。
病室のドアを大きく開く。
すると、安田が立っていた。
行く手を阻むように、安田が立ち塞がった。
「安田・・・」
「何してる? 亮太」
安田の目に、亮太の背後に思いつめた表情のかざねが映った。
「かざねさん・・・」
「安田、通してくれ」
亮太とかざね、そして安田との沈黙の睨み合いがしばらく続いた。
職務に実直な安田なら、亮太とかざねをこの場から逃がすはずがなかった。
だが、安田はじりじりと足を引いた。
そうして、階段室に通じる道を開いた。
「すまん」
亮太はかざねの手を引いて、階段室へと駆けだした。
ふたりが階段室に消えると、エレベータ―の着階ランプが灯った。
消えたと思った亮太が、階段室から再び顔を出した。
尻ポケットからスマホを取りだして、安田に向かって投げた。
「安田、これが証拠だ」
安田はスマホを受け取った。
傷だらけのスマホを見て、安田はニヤッと笑った。
エレベーターの扉が開いた。
降りてきたのは、佐治たち神室署の面々だった。



