小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

ヒトサシユビの森

INDEX|74ページ/86ページ|

次のページ前のページ
 


休日の昼下がり、茂木は自宅のリビングのソファに腰かけていた。
茂木と妻の麻美は大学病院の産婦人科受診から帰ったばかりだった。
茂木の好きな煮込み料理を作るため、麻美は早速キッチンに立った。
座卓の上には、大学病院の文字が印刷された大きな封筒が置かれている。
この日も、茂木は部屋のなかに何かがいる気配を感じた。
気のせいだと言い聞かせても、緊張が昂った。
緊張を感じる度に、茂木は右手首に嵌めた数珠の玉に触れた。
しばらく数珠に触れていると気分が落ち着いた。
「順調ですって」
麻美は大きく迫りだした下腹部に手を置いた。
「それは、よかった」
茂木の返事はどこか上の空だった。
麻美が顔をのけぞらせて、包丁を振り回し始めた。
「やだ。何か虫が入ってきたみたい」
麻美は包丁で虫を追い払おうとした。
「虫なんていないよ」
そう言った茂木は新聞を広げて顔を隠した。
見たくなかった。
「いるのよ。ほら」
茂木の手首に嵌めた数珠の紐が、突然破断した。
数珠の玉がころころとキッチンに向かって転がった。
「あ、そうだ。洗濯物取りこまなきゃ」
包丁を置いて、麻美が振り返った。
麻美が踏みだしたスリッパに向かって、大小の数珠玉がフローリングの上を転がっていった。
「麻美!」
怒鳴るような大きな声を茂木があげた。
麻美は驚いて立ち止まった。
麻美の足元に数個の数珠玉が転がっていた。
「麻美、洗濯物は僕が取りいれるよ」
茂木は階段をのぼって、ベランダの洗濯物を洗濯かごに取り入れた。
洗濯物を取り入れて階下へ降りて行くと、またキッチンで麻美が包丁を振り回している。
茂木はまた新聞で顔を隠して、ぼそっと呟いた。
「やめてくれ」
麻美が言った。
「慎平さん、何か言った?」
「いや、何も」
広げた新聞の真ん中あたりが、外側から押されて茂木の顔に近づいてきた。
その中心部が黒く裂け始めた。
茂木は経を唱えつつ、心の中で叫んだ。
「僕はどうなってもいい。でも妻と子どもだけは見逃してくれ」
茂木は書斎に行って、ジャケットに着替えた。
その際に、書斎机の上に短い書置きを残した。
「ちょっと出かけてくる」
「夕飯までには帰ってね」
茂木はガレージから自家用車を発進させた。

  ×  ×  ×  ×  ×  ×  ×

『僕は罪を犯した。過去を清算する。本当にすまない』
書斎机の上に、麻美に宛てたメッセージが残された。
茂木は自家用車を運転して石束署に向かった。
家庭を失うことは心残りだったが、家族の命は救える。
事件の全容を警察に話し、罪を償うつもりだった。
仕事も信用も失い、前科者と呼ばれる覚悟はできていた。
警察署の建物が見える四辻で、一台の車が交差する道路を猛スピードで横切ってきた。
その車は、茂木の行く手を阻むようにして急停止した。
車から降りてきたのは健市であった。
驚く茂木を後目に、健市は平然と茂木の車の後部座席に乗りこんだ。
「どこへ行くつもりだ、茂木先生」
「健坊、もう無理だ」
茂木は、額に滴るほどの汗をかいていた。
ルームミラーに映る茂木に、後部座席の健市が話しかけた。
「何が無理なの? 言ってみ」
「子どもの指が、子どもの指が・・・」
「ガキの指がどうしたって? 切り落として蛆虫の餌食にしたろ」
「それが見えるんだよ」
「ざけんじゃねえ! そんなもん見えるわけねえだろ」
「健坊、ごめんよ。僕には耐えられないんだ」
「お前が弱いのはお前の勝手だ。何が見えようが知ったこっちゃねえ。だがな、俺たちを巻きこむんじゃねえ」
健市は隠し持っていたロープを茂木の首に巻きつけた。
「何するの、健坊。苦しいよ」
「すまんな、茂木。お前の嫁は、俺の愛人にしてやるよ」
健市はロープの端をヘッドレストに結わえ、息絶えだえの茂木を車外に蹴りだした。
脱げた茂木の革靴の片方が、用水路に落ちて流れになかに浮かびあがった。
車の側面に寄りかかり、用水路に足首を浸した茂木の縊死体が見つかったのは、それから数時間後のことであった。
麻美宛の書置きが遺書と見做され、本件は自殺として処理された。

作品名:ヒトサシユビの森 作家名:椿じゅん