ヒトサシユビの森
翌日も室町は、稲荷山でいぶき捜索の陣頭指揮を執った。
稲山神社の駐車場に停めたパトカーの後部座席に身を沈め、吉報を待った。
その間も、昨夜石束総合病院で記者から見せられた動画が、幾度となく思いだされた。
だが自らスマホやPCを開いて動画を見る気にはなれなかった。
あの動画が本物かフェイクかは問題ではない。
まず溝端という名字の家系が、この町にはかざねの家族しかいない。
いぶきの氏名を公表した時点で、気づく人は気づく。
いぶきの母親が、溝端かざねだろうと。
けれどいぶきが無事に発見されれば、波風は立たない。
大事なことは、いぶきを早期に発見することだ。
しかし手がかりすら見つけられないまま、時間だけが過ぎた。
正午すぎに、本来非番であったはずの江守が室町に合流した。
いぶきを発見するまではと、江守は固い意志で室町に直訴した。
陽が傾く前に、室町はパトカーから降りて、江守とふたりで小暮沢に向かった。
稲山神社の裏手を通り、稲荷山を回りこむと起伏に富んだ丘陵地が広がる。
まず室町たちを迎えたのは、丘の頂上まで続くススキの群生地である。
ススキは小柄な江守が隠れるほどの背丈があった。
よって、その中で人を捜すのは至難の業と思われた。
ススキを掻き分けて群生地を進んでいくと、地面が露出した道に出くわした。
管理者がこしらえた道か、獣の通り道か区別がつかなかったが、室町はその小径を奥へと進んだ。
やがてススキの群生が途切れ、下草だけがまばらに生える荒地に出た。
花をつける草も低木もなく、ただ乾燥した土が表層を覆っていた。
荒れ果てた土地だが、かろうじて人が踏み固めたであろう道らしきものはあった。
周囲に目を配りながら、室町と江守はいぶきの姿を求め歩いた。
やがて正面に、小高い山の頂が見えてきた。
「あの山は確か・・・」
「天狗岳ですね」
「小暮沢の端まで来たのね」
「いぶきちゃん、いなかったですね」
踏み固められた道は、谷にかかる吊り橋に続いていた。
室町と江守は橋の手前で立ち止まった。
橋の入口は黒と黄色のロープで塞がれ、看板が2本立っていた。
”通行禁止”
”害獣注意”
「この先は行けないみたいです」
江守は橋の袂に立って、吊り橋の様子をつぶさに観察した。
ワイヤーや敷板に、老朽化の痕が見られた。
「そうね。ここで引き返してくれたらいんだけど」
「え? それは、どういう意味ですか」
「橋の向こう側は、石束じゃなくて神室署の管轄なの」
「管轄外。いや大丈夫です。この橋は渡れません」
「でも、江守。いぶきちゃんにあの漢字4文字が読めるかしら」
室町は、いぶきが平然と吊り橋を渡るところを想像した。
そして、橋の向こう側に燃え立つ天狗岳の森に目を向けた。
丘の上に立つ一本の背の高い木に、室町の目が留まった。
常緑樹の緑色のなかに、異質な色が見てとれた。
「江守、オペラグラス持ってる?」
「はい、持ってます」
室町は江守からオペラグラスを受け取った。
異質な色の正体を探るべく、オペラグラスを開いて覗いた。
室町が望遠で見たものは、風船の形状をしていた。
褪せたオレンジ色。
「江守、あれを」
風船らしきものを見るよう、室町が江守にオペラグラスを返した。
江守は、ブナの枝に絡みつく物体に焦点を合わせた。
「あれは・・・。神社の駐車場でいぶきちゃんが・・・」
「道の駅でも同じものがあった」
「すると、いぶきちゃんはこの橋を向こう側に渡ったと・・・」
「可能性はあるわね」
「それじゃ、神室署への協力要請不可避」
「気が進まないけど、仕方ないか」
室町は吊り橋の支柱に掴まり、谷底を見おろした。
川底が透けて見えるような綺麗な水の流れがあった。
いぶきが谷底に転落していないことを確かめて
「署に戻って署長に報告しましょう。江守、写真撮っておいて」
室町は、天狗岳に連なる山々を眺めた。



