ヒトサシユビの森
「道の駅は健市くんの発案だったらしいね。親父さんから聞いたよ」
「発案だなんてお恥ずかしい。思いつきというやつで・・・」
「ま、一杯」
健市に熱燗の徳利を傾けたのは、霞が関の役人から転身した県副知事だった。
川魚料理が名物の料亭の座敷で、健市は吟醸酒を杯に受けた。
上座では引退した元大臣とその孫娘の愛美が、鮎の塩焼きに舌鼓を打っている。
「石束を思う健市君の熱意には舌を巻いたよ」
石束町議会の議長が健市を褒めたたえた。
健市は恐縮したように肩をすぼめて、言った。
「新人議員の拙い議案を認めていただいた議会と、いろいろとご指導くださった副知事のおかげです」
副知事の隣では県議会の重鎮である長老議員が酒を呷っていた。
神室市が地盤の長老議員は、道の駅開業を石束に出し抜かれて、面目を失っていた。
「ところで健市君、愛美さんとはうまく行っているのかな」
席に戻った健市に、議長が水を向けた。
愛美が塩焼きの尾を齧りながら、健市に微笑みかけた。
世辞にも綺麗とは言えない愛美の魚の食べ方に、微笑みを返す健市の口元が引きつった。
「ええ、ありがたいことに、お付き合いさせていただいています」
「それはよかった」
「婚約は済ませたと聞いたけど」
と副知事が口を挟んだ。
「いえ、それはまだ。私はまだ半人前の駆け出し。国政が見えて初めて一人前と思ってますから」
健市の言葉を聞いて、県の長老議員が咳払いをした。
愛美は恥じらい、祖父の元大臣は笑顔だ。
副知事は長老議員を無視して続けた。
「若いのに、もう国会議員を目指しているとは、石束の未来は安心ですな」
議長の上機嫌な笑い声で、宴席が盛りあがった。
健市のスマホがスーツのポケットで振動した。
健市は発信者を確かめると「ちょっと」と言って席を立った。
座敷の襖を開けて廊下に出る。
薄暗い廊下の柱の陰に、坂口が立っていた。
健市は坂口に近づくと、小声で話した。
「気ぃ遣うわ、正直」
「大変そうだな、健市」
「で、準備はできたか」
「必要なものは揃えた、抜けられそうか」
「わからない」
「じゃあ、先に行っとく」
「ああ、あとで現地で会おう」



