ヒトサシユビの森
蛭間健市の名を連呼する選挙カーが、田園地帯を貫く農道を走り抜けた。
石束町は、面積の大半を山林と田畑が占めていた。
町唯一の鉄道駅である石束駅周辺のみに、ビルや商店が軒を並べ、街区を成していた。
街区を抜けるとすぐに農村の風景が広がる田舎町である。
選挙カーの姿を見つけると、もんぺ姿の老婦が農作業の手をとめた。
健市は、選挙カーの窓から顔を出し、手ぬぐいで汗を拭く農婦に手を振った。
そんなことを繰り返しながら、健市を乗せた選挙カーは、町内の集落をくまなく駆けまわった。
「蛭間健市、蛭間健市がご挨拶にまいりました」
ウグイス嬢のノイズ混じりの大音量が、再び戻ってきた街区の建物に反響した。
しばらくして、選挙カーは建物群がまばらになるあたりで速度を緩めた。
健市はウグイス嬢を労って、選挙カーを降りた。
少し歩いて”坂口建設”という大きな袖看板の下をくぐった。
土木建設会社の広い敷地を、健市は迷わず歩を進めた。
敷地の隅に、2階建てのプレハブのユニットハウスが建っている。
その外階段を、健市はのぼった。
窓はカーテンが閉めきられていたが、中から明かりが漏れていた。
石束猟友会というレタリングシートが貼られた扉を健市は押し開いた。
涼やかなカウベルの音が鳴る。
室内にいた三人の男たちの視線が、扉を開いた来訪者に注がれた。
肉の卸しと商店を営む玉井聡、家業の建設業に従事する坂口大輔、研修医として大学病院で働く茂木慎平。
パイプ椅子に腰掛けた三人の男が、健市を無言で迎え入れた。
普段なら当然の如く笑顔で歓迎するはずの友人たちが、言葉を発することなくただ座っている。
健市は、彼らの挙動にただならぬ空気を感じた。
「なんだ、話って? 上ものの鹿肉でも獲れたか」
玉井は黙って健市の後ろに回りこみ、扉の内カギをかけた。
健市は玉井に促されて、テーブルについた。
テーブルの上は茶封筒が3通、置かれていた。
うち1通は、先日かざねが駐車場の自動販売機横のゴミ箱に投げ入れたものだった。
玉井が、折れ曲がって皺だらけの茶封筒から、複数の紙を取りだした。
”鑑定報告書”
”被験者Aと被験者Bの間に血縁関係は認められない”
そう記された紙の下に、溝端さちやと山本亮太の名前が印字されていた。
玉井は鑑定報告書をテーブルの上に置き、健市に見せた。
「なんだこれ? 誰?」
鑑定報告書に書かれた名前に、健市は思いあたらない。
玉井が説明した。
「溝端さちや。さちやは溝端かざねの子どもだ」
「だから、何? 誰の子ども?」
「6年前になるかな」
玉井が言った。
「大学が休みに入って健ちゃんが帰省したことがあったろ」
「いつだっけ?」
「慎平と一緒に・・・」
「ああ、そうだった。親父がいろいろうるさくてさ。それより、そん時久々に4人で酒が飲めて、楽しかった」
「お前が酔ったせいか、やりてえやりてえって喚き始めて」
「夏祭りに現場に行けば、いい女がいるんじゃないか、って」
「ああ、思いだした。全然ナンパできなくて、最後は無理やり拉致って」
「その女が溝端かざね。さちやの母親」
「知らねえよ。ただ楽しかったことは憶えてる」
「妊娠期間とガキの年齢を考えたら、その時期と一致する」
「山本亮太は、当時かざねと付き合ってた男な。亮太の話だと、あの夏祭りのあとからかざね、家に閉じこもって」
「一切家から出なくて、何年も自宅に引きこもってたらしい。それがつい最近、急に子どもを連れて現れた」
「俺と坂口は遺伝子検査をやった。結果はシロだ」
玉井は、テーブルの上の2通の茶封筒を指した。
坂口は茂木を横目で見て、
「慎平は、あれだ」
「僕は指一本、彼女に触れてないから」
「で? 何?」
「健市、念のため遺伝子検査しておいたほうがいい」
「なオンナ、誰とでもやってんだろ」
「だから健市、無関係であるこを立証するために・・・」
「やんねえよ、そんな検査。ふざけてんのか」
健市は怒りを露に立ちあがり、三人に背を向けた。
坂口は冷静に、だが強い口調で健市に言った。
「もし万が一、さちやってガキがお前の子どもだったら、で、そのことを母親が先に知ったら・・・」
「ゆすりたかりのネタにされるかもしれん」
「お前、議員先生になるんだろ」
幼い頃からの親友、坂口の言葉が健市に現実を突きつけた。
「マジか・・・」
健市は怒りを鎮め、テーブルの上の茶封筒を指でなぞった。



