ヒトサシユビの森
ステージでは健市が話を続けていた。
「この道の駅は皆さんの普段の暮らしが便利になるだけでなく、近隣、いや全国から集客が見込め、その経済効果は・・・」
式典は粛々と行われているように見えたが、ちょっとしたハプニングが起きた。
小さな子どもが現れて、椅子席の通路で立ち止まった。
いぶきだった。
いぶきはステージに向かって右腕を伸ばした。
表情を消したまま、右手の人差し指でまっすぐ演台の健市を指さした。
健市は一瞬、背後を振り返った。
居並ぶ来賓客は皆、泰然とした態度で成り行きを見守っていた。
その向こう側といえば、くすんだ色の空が広がっているだけだった。
健市はあらためて、いぶきが自分を指さしていることを認識した。
健市といぶきは初対面である。
しかしいぶきの顔の作りは、さちやにそっくりだ。
健市は、さちやが幼い子どもに憑依しているかのような錯覚に陥った。
その目的は、過去の事件を告発するためか。
いぶきは口を閉じたままだったが、何か言いだすのではないかと、健市は気が気でなかった。
あらかじめ用意した祝辞など、すっかり消し飛んだ。
健市の表情がみるみる変わった。
こめかみが引きつった。
玉井は最前列の席にいたが、体格の良い招待客に阻まれて、いぶきの姿が見えなかった。
なので、健市が何に動揺しているのか、計りかねた。
隣を見ると、茂木が蒼ざめた表情で固まっている。
「どうした、慎平」
いぶきがいることに気づいた茂木は、玉井に「ごめん」と言って席を立った。
坂口は健市の異変を察知して、腰を浮かした。
テントの後ろを通ってステージの近くまで場所を変えた。
腰を屈めて、いぶきがはっきり見える所まで坂口は近づいた。
健市はいぶきを凝視していた。
マイクに乗らない呟きを、健市は漏らした。
「お前、なんでここに?」
坂口は健市の呟きを理解した。
通路に立ってあたかも健市を指弾する素振りのいぶきが、健市にとってはさちやに見えたに違いない。
坂口が見ても、幼い子どもは、さちやにそっくりだった。
健市がさちやの亡霊と勘違いするのも無理はない。
だが、亡霊など現れるはずがない。
そう考えて、坂口はいぶきを監視した。
いぶきは小さな指を突き立てたまま、健市に向かって初めて唇を動かした。
「ウーターマン」
いぶきの周囲にいた聴衆には、いぶきの声は届かなかった。
だが、健市にはいぶきが発した言葉が「ウルトラマン」だとはっきり聞こえた。
それが意味するところを、健市は俄かに理解できなかった。
いずれにしろ、亡霊による罪の告発でなかった。
健市はほんの少し安堵した。
笑みを作り、マイクスタンドを握り直すと、聴衆を見渡して言った。
「このような小さなお子様までもが、私のことをまるで正義のヒーローのように思ってくださる」
「ウーターマン」
「ウルトラマンじゃないけどね、私は」
なぜ健市がウルトラマンと言ったのか。
その場に居合わせた聴衆で、腑に落ちた者はいなかった。
けれども椅子席、立見席だけでなく来賓席からも、さざ波のような愛想笑いが起きた。
健市は目の端で、坂口に合図を送った。
いぶきを連れ出せという合図だった。
坂口はステージに被らないよう腰をかがめて、いぶきに手を伸ばした。
坂口の手が邪悪なものに見えたいぶきは、坂口に対して戦闘態勢をとった。
姿勢を低くし、足を前後させ、指を揃えて突きだした。
坂口も負けてはいなかった。
爪を立てるように両手を開き、腰を伸ばした。
幼いいぶきには坂口が、抗しきれない恐ろしい巨人に映った。
徐々にいぶきの指先から力がなくなり、顔面が泣きそうに崩れ始めた。
「あ、いた。いぶきちゃん!」
ステージの袖から大きな声がした。
江守が、坂口の陰に隠れながらも、横顔が見えるいぶきを指さして叫んだ。
かざねが江守と合流して隣に立っていた。
江守はかざねに申し訳なさそうに
「ごめんね、ちょっと目を離した隙に・・・」
「ほんと、あの子ったら・・・」
かざねは江守と顔を見合わせて、いぶきの発見に胸を撫でおろした。
かざねがいぶきを呼ぼうと、口を開きかけた瞬間である。
涙目のいぶきが、坂口の手を身を翻して避けた。
そしてそのまま背走するように、椅子席の通路の奥へ駆けだした。
「いぶき!」
かざねがいぶきに叫んだ。
だが、いぶきは止まらなかった。
恐怖心に浸食されたいぶきに、かざねの声は届かなかった。
「かざねさんはここにいて」
と言って、江守がいぶきの後を追った。
居ても立ってもいられず、かざねは通路が見えるステージ前に歩み寄る。
坂口が茫然といぶきを見送っている場所だ。
坂口は一瞬、かざねを見た。
数秒、間があって、坂口の目が大きく見開いた。
そしてゆっくり健市のほうを振り返った。
健市もステージの上から、かざねを見ていた。
髪を振り乱して子どもの名を呼ぶ女性が、健市には初め田舎町のシングルマザー程度にしか見えなかった。
その女性のエキゾチックな顔立ちが、記憶の中のさちやの母親・溝端かざねと重なったとき、健市は
「お前・・・」
と呟き、しばしかざねを睨みつけた。
玉井も中腰になりながら、成り行きを見ていた。
いぶきは江守の追跡を尻目に、後方の人垣のなかに突進した。
大人たちの足元を掻い潜り、小さないぶきは姿を消した。
江守は人垣の手前で立ち止まり、舌打ちした。
落成式会場を振り返って、肩の無線機を握りしめた。
かざねは髪を掻きあげて、江守から送られた意図を汲みとった。
かざねの仕草をステージ上から見ていた健市の胸中に、様々な感情が湧きあがった。
「お前は何を知っている?」
過去の出来事が幾重にも想起された。
「蛭間さん。蛭間議員。お話の続きを」
女性司会者が呼びかけた。
マイクを通して、感情の乱れが収まらない健市を現実に引き戻した。
健市は聴衆に対して慌てて笑顔を繕った。
ハプニング続きの式典を締め直すべく、スーツの前を閉じ直し、背筋を伸ばしてマイクを握った。
「私、蛭間健市、ますますこの町の発展に尽力して参る所存です」
報道カメラのシャッター音と聴衆から大きな拍手と歓声が湧いた。



