ヒトサシユビの森
3.クスリユビ
「あぁ、東京行きてえなぁ」
「行けばいいじゃん、亮太」
「簡単に言うな」
「どうして?」
森に囲まれた稲山神社の境内は、年に一度の例大祭で賑わっていた。
夜店が立ち並ぶ広場では子どもたちが金魚すくいに興じたり、顔より大きい綿菓子をほお張ったり、思い思いに祭りを楽しんでいる。
境内を見おろせる石垣の上に座って、かざねと亮太は焼き鳥を肴に、缶ビールを飲んでいた。
「俺、高校中退だしな。どこも雇ってくれねぇだろ」
「いくらでもあるんじゃない? 肉体労働なら」
日が暮れて暗くなると、境内の真ん中にかがり火が焚かれた。
和太鼓と横笛の音色が境内に響く。
舞台では、石束町に昔から伝わる天狗伝説をモチーフにした猿楽が奉納された。
天狗の面と狐の面をつけて舞う踊り手は、地元の小学生から選ばれた男児2名。
石束で出生したことが選考の基準となっている。
和楽器の演奏が漏れ聞こえる境内の裏手で、かざねと亮太は祭り見物を遠巻きに楽しんでいた。
亮太は鼻を鳴らし、缶の底に残ったビールをグイと飲み干した。
「東京まで行って肉体労働はないわ」
「他に何かできることありましたっけ?」
「おい、かざね。お前、高校の先輩をバカにすんのか?」
「先輩? 中退でしたよね、亮太センパイ」
アルコールのせいか、かざねの軽口に辛辣さが増していた。
亮太は舌打ちをして、空き缶を逆さに振った。
かざねは長い黒髪をかきあげた。
ひときわ明るく燃えあがった篝火の明かりが周囲に広がり、かざねの横顔を一瞬照らしだした。
いたずらな笑みと幼さの残る目元は、酔いが回っているせいか、少し紅潮しているようだった。
「かざね、ビール」
「もうないよ」
「えっ? 6缶買ったろ」
「みんな飲んだ」
「全部飲んだ?」
「うん。あ、これ飲んでいいよ」
かざねは手に持っていた缶ビールを亮太に手渡すと、すくっと立ち上がった。
「ちょっと、トイレ」
亮太はかざねから受け取った缶ビールに口をつけた。
「大丈夫か? 駐車場まで遠いぞ。ついてってやろうか?」
かざねは手を振って亮太の申し出を断った。
篝火のほうに向かって歩き、アラカシの幹にもたれた。
たしかトイレの場所は階段下の駐車場横で、そこまで行くには、手すりのない石の階段を三十段ほど降りなければならない。
しかし飲み過ぎたせいか、思った以上に足どりが心もとない。
かざねは、アラカシの幹を支えにして、しばらく思案を巡らせた。
これは途中で石段を踏み外す。
無事に辿りつけないだろう。
そう結論づけたかざねは、石段脇の林の奥へと向きを変えた。
手で脇枝をよけながら、起伏をいくつか越えた。
土壌が盛りあがって、境内の灯りが届かない場所まで分け入った。
周囲に誰もいないことを確かめて、浴衣をたくしあげる。
ざざっと枯葉を踏む音がした。
浴衣を降ろして、もう一度周囲を見回した。
誰も見えない。
かざねが顔を正面に戻したとき、目の前に狐の面を被った何かがいた。
声をあげようとする口を、薬品臭い布で塞がれた。
突然視界が暗転した。
喉元を締めつけらるような痛みに襲われた。
呼吸が苦しくなっていく。
頭から布袋のようなものを被せられたとわかったときには、意識が朦朧となっていた。
× × × × × × ×



