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ヒトサシユビの森

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「すみません、うちの子が・・・」
「いいんですよ。手の届くところに置いてしまったこちらのミスです」
女性職員はリモコンボタンで、いつも流しているNHKに画面を戻した。
高齢者たちは、耳に優しい語り口の番組の再開に安堵した。
「いぶき、ここはあなたのお家じゃないの。勝手に他人のリモコンに触っちゃだめなの」
いぶきは口を尖らせて、泣きそうな顔をする。
壁掛けテレビからNHKの聴こえなくなった。
かと思うと。画面が他の番組に替わった。
高齢者たちの間にざわめきが起こる。
受付に戻った女性職員はカウンターのリモコンを見た。
リモコンは書類ケースの上にある。
子どもの手が届く高さではない。
そして自分もそこに置いたままリモコンに触れてない。
また画面が替わった。
女性職員はリモコンを注視した。
チャンネルのキーボタンのひとつが、押しこまれるように沈んだ。
見ていると、そのボタンはゆっくりと浮きあがり、元に戻った。
そして別のキーボタンがゆっくり沈んでいく。
女性職員は驚愕して息をのんだ。
テレビ画面が、ジオラマセットのハゲ山シーンに変っていた。
ウルトラマンがジャミラに手刀を振っていた。
「やったー! ウーターマン、ウーターマン」
いぶきは小躍りして喜んだ。
テレビに映るウルトラマンを真似して、スペシウム光線のポーズをとった。
いぶきの視界からテレビが消えた。
かざねが仁王立ちして遮っていた。
「いい加減にしなさい、いぶき!」
かざねはいぶきの頬をぶった。
待合のロビーに鈍い破裂音が響いた。
高齢者たちの視線が、かざねの右手といぶきの左頬に注がれた。
女性職員も顔を引きつらせて凝視していた。
高齢者たちの囁き声が聞こえてきた。
「あの母親、たしか・・・」
「子どもを殺した罪で・・・」
「町から出て行った娘さん」
突き刺さる視線に、かざねは身体の芯から震えた。
いぶきは目を潤ませて立ちすくんだ。
涙が溢れ、やがて大声をあげて泣き叫んだ。
そして、かざねから逃げるようにロビーから駆けだした。
涙で前が見えないいぶきは、人にぶつかった。
江守だった。
江守はいぶきを抱きあげた。
いぶきは江守の腕の中で、泣きじゃくった。
「かざねさん、外に出ましょうか」
と言って。立ち尽くすかざねを促した。
いぶきを抱いた江守は、かざねを病院の正面玄関から外に連れ出した。
駐車場への誘導路を歩きながら、かざねは江守からいぶきを預かろうと腕を伸ばした。
だが、いぶきは江守の肩に顔を埋めて拒否した。
かざねは、いぶきを平手打ちしたことを反省した。
あの時、いぶきはリモコンを持っていなかった。
「あたし、母親失格だわ・・・」
「大丈夫よ、かざねさん。みんな、悩みながら子育てしてるの」
パトカーのサイレンが通り過ぎた。
かざねは、駐車場のフェンス越しに、県道のほうを見やった。
そういえば、来るときも辻に立つ制服警官を何人か見た気がすると、かざねは思った。
パトカーが通り過ぎる先を、いぶきが指さした。
低い家並の向こう側に、紅白のアドバルーンが中空に浮いていた。
9月の穏やかな風に、ふわふわと揺れていた。
風に乗って、かすかな和太鼓の響きも聞こえた。
いぶきは太鼓の響きやアドバルーンに興味津々だった。
「きょう、何かイベント事があるんですか」
「きょうね、道の駅の落成式なの」
「道の駅?」
江守はいぶきを地面におろし、いぶきと手を繋いだ。
「そう。蛭間さんのぼんぼんが町議になって、とんとん拍子」
「蛭間?」
「蛭間コーポレーション、知らない? そこの御曹司で」
「すみません」
「そうよね。この町に色々できたのって、かざねさんが町を出てからだものね」
石束総合病院に関しては雪乃の手術や入院も含めて、あってよかったと思う。
しかし道の駅と聞いても、かざねは興味が湧かなかった。
「それで東京からお偉いさんが来るの。この田舎町に」
「だったら江守さん、そちらのお仕事があるんじゃないですか」
「大丈夫、心配しないで。それより、かざねさん、昨日から一睡もしてないんじゃない?」
「いえ、大丈夫です」
その声が弱々しかった。
「警察署のなかに仮眠室があるんだけど、使う?」
かざねは首を振って強く固辞した。
石束警察署にだけは二度と足を踏み入れないと、心に決めていた。
「ありがとございます。けど病院から離れたくないし、車の中で休みます。いぶき、いらっしゃい」
かざねはいぶきに手招きした。
いぶきはまだ、ウルトラマンの視聴を中断されたことを不満に思っていた。
江守の手を離そうとしなかった。
「いぶき」
「かざねさん、しばらくいぶきちゃんを見てましょうか」
「でも・・・」
「かざねさん、お疲れでしょう。そうだ、道の駅ならいま警官もいっぱい居るし、レストランもあるから」
「いいんですか・・・」
「任せて。目が覚めて私たちがいなかったら、道の駅にいると思って。道の駅の場所、わかるかしら」
「いいえ、どこですか」
「昔、玉井商店の駐車場があったところ」
「あ、あぁ、あそこ・・・」
記憶が巻き戻って、かざねは軽い眩暈を感じた。



作品名:ヒトサシユビの森 作家名:椿じゅん