ヒトサシユビの森
雪乃の病室で半時間ほど雪乃を容態を診ていた茂木が、病室から出てきた。
かざねは小走りに茂木に駆け寄った。
雪乃の容態を知るためだ。
しかし茂木は、返答をしなかった。
無表情のまま、かざねの傍らを通り過ぎて、エレベーターに向かった。
「先生、母は?」
と、茂木に追いすがるかざねを看護師が
「溝端さん」
と制した。
看護師を振り返ると、病室のドアが全開になっていた。
点滴のチューブと酸素吸入器に繋がれた雪乃が目を閉じて横たわっていた。
「雪乃さんのバイタル、安定しました。いまは薬で眠ってます」
「そうですか・・・よかった。でも、さっき母と・・・」
看護師は病室のドアを閉めた。
「ええ、お話しされていましたね。でも先生に言うには、あの状態で意識が戻ることは考えられないと」
「どういうことですか」
「奇蹟が起きたとしか・・・」
いぶきがかざねの洋服の裾を引っぱった。
何度も引っぱるので、「何?」と面倒くさそうに突っぱねた。
するといぶきはいたずらな笑みを浮かべ
「ねえ、ママ。ウーターマン買いにいこうよ」
あっけらかんとして言った。
かざねは少しイラっとした。
(それどころではない)
と思いつつ、かざねは
「まだお店が開いてないから、あとでね」
と、はぐらかす。
「ねぇ、ママ」
といぶきがしつこくせがむ。
かざねはいぶきを正面から睨んだ。
「いぶき、いい加減に・・・」
かざねの低い沸点を察して、いぶきは逃げるようにその場を離脱した。
廊下を駆け、茂木が乗っている閉まりかけのエレベーターに飛びこんだ。
エレベーターの扉が閉まり、下向きのランプが灯った。
一瞬の出来事で、傍にいた江守も止めようがなかった。
エレベーターが下降していることを確かめて、江守とかざねは下階へ降りるべく階段室に向かった。
エレベーター内では、茂木が扉に向かって無言で立っていた。
茂木の背後で、いぶきは声を張りあげながら周回した。
「ウーターマン、ウーターマン」
エレベーターの扉が開くと、茂木は急ぎ足で副院長室に逃げこんだ。
かざねと江守は内階段を1階まで降りてきた。
すぐ目に入ったのは、夜間出入口。
出入口は閉まっていた。ここからいぶきが出ることはない。
かざねたちは出入口を背にして廊下を眺めた。
1階には病室はなく、診察室と検査室が並んでいた。
間違っていぶきが診察室や検査室に紛れこんだら、きっと騒ぎになるだろう。
だが、診察室や検査室に騒がしい様子はない。
廊下を進むと、どこからか喧騒が聞こえてきた。
声のするほうを目指すと、そこは1階のロビーで、高齢の男女が幾人もベンチに腰かけていた。
高齢者たちは処方薬が用意できるまで、壁に掛けられた大型テレビに向き合っていた。
が、そのテレビ画面が次から次へと切り替わっている。
テレビの下で、いぶきがリモコンを出鱈目に操作していた。
「ウーターマン、ウーターマン」
と呪文のように唱え、ウルトラマンが映るまでチャンネルボタンを押し続けた。
病院職員らしき女性は困った顔で、いぶきの傍に立ってリモコンを返すよう説得していた。
いくらいぶきがチャンネルを替えても、ウルトラマンは映らない。
いぶきが癇癪を起しかけたとき、かざねが背後からいぶきの腕を掴んだ。
「いぶき、お姉さんにリモコンを返しなさい」
いぶきはかざねの言うことを聞かなかった。
リモコンを持ったまま、返す素振りを見せなかった。
かざねは無理やりにいぶきからリモコンを奪って、女性職員に返した。
いぶきは
「あああああああ」
と言って、かざねに反抗した。
高齢者たちの視線がいぶきとかざねに集まる。



