ヒトサシユビの森
石束総合病院。
JR石束駅の北側に立地し、周囲を水田に囲まれている。
地域の中核病院として昨年末に開院を果たしたばかりだ。
日中は近隣から多くの年寄りが通院に訪れ、夜間も救急外来としての役目を担っている。
茂木慎平は若くして、その病院の副院長に就任していた。
副院長室に訪ねてくる者がいた。
蛭間健市だった。
「よう、慎平」
「あ、健坊・・・」
「どうだ、調子は?」
浅黒く日焼けした健市が、菓子折りを持ってやってきた。
健市は髪型を七三に整え、オーダーメイドのスーツの襟には議員バッジが輝いていた。
「珍しいね、健坊がわざわざ病院に来るなんて」
「今朝、久しぶりにこれやってきたんだ」
蛭間は射撃の恰好を茂木に見せた。
「そう・・・」
「お前も来ればよかったのに」
「ちょっと、仕事が忙しくて・・・」
「副院長の仕事ってそんなに忙しいのか」
「ていうか、よく行けるな、あの山に」
「バカ言え。石束町民の安全安心のために行ってるんだ。農作物が荒らされないためにな」
健市は菓子折りを茂木に渡し、応接セットのソファに腰かけた。
「いしづか愛の猟友会。慎平、お前もメンバーなんだからな」
「ああ」
茂木は煮え切らない返事をした。
「シーズン初めにしてはでかいのが獲れた。それでお前んちに届けといた」
「いいのに、わざわざ」
「ジビエ料理、得意だろ。美人の奥さんに食わしてやれ。で、予定日はいつだったかな」
「来月下旬」
「いやぁ、もうすぐだな。それはめでたい。ほんとお前んちが羨ましいよ」
「そうかな?」
「そうかな、じゃないよ。あんな美人な嫁さん、若いしスタイルいいし」
「健坊んちだって・・・」
「俺んとこなんて。大きな声では言えないが、侘しいもんよ」
「欲張りなんだよ、健坊は」
「そうか?」
「大きな屋敷に住んで、元大臣の孫娘さんとお付き合いするとか・・・」
「いろいろ言えないことがあるんだよ、政治の世界は。慎平も勤務医から総合病院の副院長に大出世じゃないか」
「出世じゃないよ。知ってるよ。健坊が僕を推薦してくれたこと」
「理事会にいい人がいないか、相談されたんだよ。もう少ししたら、院長の席が待ってるからな」
「僕は、大学病院の勤務医のままでよかったのに・・・」
「言うな。お前にはいろいろと借りがあるからな・・・」
「健坊・・・」
茂木の表情がひきつるように曇った。
「あ、そうだ。週末、来てくれるよな。落成式」
「落成式って?」
「道の駅だよ」
「もうできたの、道の駅・・・」
「聡も大輔も来るぞ」
「行きたいのはやまやまなんだけど、今週末ひとり学会に行くヤツがいてさ・・・」
ドアを蹴破る勢いで、副院長室に看護師が飛びこんできた。
「茂木先生、急患です」
「状況は?」
「車の中で気を失ってて、呼びかけても返事がなかったそうです」
「わかりました、すぐ行きます」
健市は場の空気を読んで、腰をあげた。



