小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

ヒトサシユビの森

INDEX|3ページ/86ページ|

次のページ前のページ
 


「こんなこと、してほしくなかった」
タバコに火をつけながら、溝端かざねはポツリと呟いた。
淡く白いセブンスターの煙が、波型のトタン屋根をつたい明け方の空に消えた。
朽ちかけた背の高い円卓の上に、未開封の茶封筒が置かれている。
茶封筒の差出人の文字が、低いモーター音を発する自動販売機のランプにぼんやり浮かんだ。
山本亮太は、円卓に手を置いて言った。
「俺もこんなこと・・・。かざね、お前が・・・」
「あたしのせい?」
かざねは亮太をチラと見、それからタバコの煙を壁際に吹きかけた。
壁面に貼られた町議会議員選挙の広報ポスターが煙に巻かれた。
「全然知らなかった。なんで黙ってた」
「亮太には関係ない」
「関係あるかないかは・・・。なんで隠してたんだ」
かざねは黙ったまま、返事をしなかった。
「名前は?」
「さちや」
かざねは駐車場に停めた自分の車のほうを見た。
幼いさちやが座席に膝立ちになって、小さな手をガラス窓に押し当てていた。
「さちや・・・。いくつだ、歳は?」
「もうすぐ5歳よ」
「5歳・・・。お前5年もな・・・」
「ええ、そうよ。5年も経つけど、いまだ出生届け出してないわ。いけない?」
かざねは眉間にしわを作って、タバコをアルミの灰皿にもみ消した。
「何も困ってることないし」
「お前、子どもの将来のこと考えたことあんのか?」
かざねはバッグからコンパクトを取りだし、化粧を落とす準備を始めた。
「考えてるに決まってるでしょ」
「何も考えてねえだろうが!」
声量が大きくなったことを誤魔化すように、亮太は一度咳払いをした。
気持ちが落ち着いたところで、静かに続けた。
「この封筒の中身は鑑定結果だ。もしさちやと俺に親子関係があったら・・・」
「さちやは私の一部。さちやはあたしが守る」
かざねが亮太の言葉を断ち切る。
そう言い放って、かざねはファンデーションを拭いとった。
そんあかざねを見て、亮太がいきり立った。
「いい加減にしろ!」
亮太の怒声が円卓を揺らした。
灰皿がセメントの地面に落ち、ガラスが割れるような鋭い金属音となって辺りに響いた。
亮太は落ちかけた茶封筒を掴んで、円卓に戻した。
「ひとりで抱えこむな。あの日だって・・・」
亮太は足元に視線を落とした。
「お前が突然,俺の目の前から消えた。俺がどれだけ心配したか・・・」
「馬鹿ね」
かざねは化粧落としの手を止め、地面に落ちた灰皿を拾った。
手を伸ばした地面は、セメントで塗り固められた足元から、更地を均しただけの埃っぽい駐車場に繋がっている。
鉄柵で囲われた駐車場の出入り口に、よく目立つ広告看板が建っていた。
「鹿肉・猪肉 玉井商店」
その看板の下に、かざねの軽自動車が停まっていた。
「亮太からすれば、あたしは女友達のひとり。だったでしょ?」
「封筒を開けるぞ」
亮太はかざねの言葉を聞き流して、封を開けた。
そして封筒の口からの鑑定報告書を取りだした。
「さちやに父親はいない」
かざねはそう吐き捨てると、化粧落としの道具をバッグにしまった。
収穫を終え積み重なった藁山が点在する中秋の田園風景。
なだらかな稜線の山々が遠くに連なり、その中腹を這うように被さる白い靄が朝日を浴びて輝いている。
亮太は、瞬きもせず食い入るように鑑定報告書に目を通した。
見終わると、落胆して大きく溜め息をついた。
しばらく亮太は、かざねの顔を見ることができなかった。
かざねはクラッチバッグを肩にかけた。
かざねの軽自動車のすぐ近くに、玉井商店と車体に描かれた軽トラックが停車した。
毛皮をまとった男と胸板の厚い大男がふたり、荷台から発泡スチロールの箱を降ろし始めた。
「かざね。俺が言ったことは全部マジだ」
亮太は、弱気になった眼差しをかざねに向けながら、鑑定報告書を封筒に戻した。
かざねはあきれ顔で封筒を雑に掴んだ。
「さちやに父親はいないの。これまでも、これからも」
かざねは茶封筒を、自動販売機横のゴミ箱に無造作に投げ入れた。
そうして明け始めた空の下を、かざねは軽自動車のほうに向かって歩いた。
遠ざかるかざねの背中に、亮太が上ずった声で叫んだ。
「かざね、俺、さちやの父親になりてえんだよ」
夜明けの駐車場に、亮太の叫び声が虚しく響いた。
かざねが軽自動車に近づくと、助手席のドアが細く開いた。
ドアの隙間からさちやが降りてきて、かざねのほうに歩きだした。
「こらっ! さちや! 降りちゃダメって言ったでしょ!」
かざねはクラッチバッグを肩から外し、大きく両手を広げた。
笑顔だったさちやの顔がこわばり、泣きそうな目になった。
「ごめんね、さちや。また大きな声だしちゃった」
しゃがんで笑顔を作り、かざねは泣きながら駆け寄ってくるさちやを抱きあげた。
「ママを許してね」
かざねは膨らませた頬を何度も作り、さちやに見せた。
さちやは小さな人差し指を立てて、かざねの頬に触れた。
膨らんだかざねの頬を、さちやが白く柔らかいひとさし指でそっと突つく。
さちやの指が触れると、かざねはシューっと細く息を吹き出して頬をすぼめて見せた。
すると、泣きそうだったさちやの顔に笑顔が戻った。
亮太は、かざねとさちやの仲睦まじい姿を、歯ぎしりして眺めるしかなかった。
毛皮の男は、降ろした発泡スチロールの箱を台車に積み終えたところであった。
ゆっくりと台車を押しながら、男たちは目の端で亮太とかざねの様子を窺っていた。

作品名:ヒトサシユビの森 作家名:椿じゅん