ヒトサシユビの森
長い時間、表情を変えずに同じポーズを保ち続ける。
プロのモデルには容易いことかもしれないが、経験のないかざねには荷が重かった。
一時間もしないうちに、肩が落ちて視線が下を向いた。
「まりやさん、疲れたでしょう。休憩しましょう」
水上は、かざねを気づかって筆を休めた。
人物画を描くという駿河からの提案は、唐突なものに思えた。
しかしそれが、駿河の水上に対する何らかの試験であることを水上は感づいていた。
真意のほどはわからない。
が、駿河のめがねに適う作品を描かないと、先に進めない。
しかし本格的に人物画を描くのは初めてだ。
プレッシャーだった。
水上の絵を描く作業がうまく進んでないことは、かざねの目にも明らかだった。
「ごめんなさいね。あたしきっと、モデルに向いてない」
かざねは自分を責めた。
水上は大仰に否定した。
「そんなことはありません。僕のせいです。まりやさんは何も悪くない」
描きかけのキャンバスを脇に置き、新しいキャンバスをイーゼルに立てかける。
「まりやさんは・・・素敵です」
公園のベンチに座るかざねの絵は、背景の描写が強すぎると駿河から却下された。
喫茶店で窓の外を眺めるかざねの構図は、飲料メーカーのポスターみたいだと、ダメ出しを喰らった。
設定に悩んでいると、駿河から提案があった。
提案に従って、かざねは初めて水上が住む賃貸マンションに赴いた。
オートロックで上層階の角部屋。
寝室とリビングの他に、アトリエ専用の部屋があった。
「まりやさん」
水上がアトリエ部屋のドアの外から、かざねに声をかけた。
「着替え終わりました。どうぞ」
水上がそろりとドアを開けると、かざねが椅子に背を向けて掛けていた。
紅い刺し色の入った長襦袢をまとい、長い髪を櫛かんざしでまとめてアップにしていた。
襟足の匂い立つような色香に、水上は目を奪われ、ドギマギした。
「無茶ですよね、無茶だ。僕に描けるわけがない。日本画モチーフを油絵でなんて」
水上はかざねをまともに見れず、左右に焦点を乱した。
「まりやさん、そんな恰好、いやですよね。いやならモデル、降りてもらっても・・・」
「いやじゃありません。水上さん、あたし思うの。駿河先生は水上さんならきっと描けると信じて提案なさったと」
「いや、それは買いかぶりです」
「水上さん」
かざねはやや強い調子で、水上に呼びかけた。
「やりましょう。あたしも頑張りますから」
弱気になりつつある水上を、かざねは鼓舞した。



