ヒトサシユビの森
2.コユビ
野生のイノシシは用心深い。
やみくもに突進するような獰猛な性格ではなく、きわめて臆病な生き物である。
しかし生存を脅かされるような場面に出遭うと、相手かまわず牙をむくことがある。
そのイノシシは、まさにその場面に遭遇していた。
ぬた場で泥をなすりつけているところを、猟犬に吠えたてられた。
猪狩り用に育てられた猟犬は、イノシシに牙をむかれたところで簡単に退き下がらない。
逆にイノシシの耳に?みついて興奮を煽る。
敵愾心を煽って、ぬた場から追いだすのだ。
煽られたイノシシは、後退する猟犬を追いかける。
直進の速度ではイノシシに分があるが、藪や倒木のある照葉樹の森林では、スピードはさほど変わらない。
イノシシを煽った猟犬は、一定の距離を保ったまま林のなかを逃げ続けた。
逃げる道すじは決まっていた。
野生動物しか通らない道なき道。
いわゆる”獣道”だ。
獣道のとあるポイントにさしかかると、猟犬はその場で弧を描きながら吠え立てた。
追ってきたイノシシは急停止し、鼻息荒く前足に体重をかけ襲いかかるタイミングを図った。
そのときである。
イノシシの眉間を、ライフル銃のスコープが捉えた。
銃声がブナの木立に轟く。
銃弾はイノシシの眉間をかすめた。
銃声に驚いたイノシシは、向きを変えて逃走したが、続く二発目の銃弾がイノシシの後肢から腹部を貫いた。
イノシシはブナの幹に激突して倒れた。
× × × × × × ×
指のかかった缶ビールのプルトップの口から勢いよく白い泡が溢れた。
太い丸太で組まれたログハウスの壁には2丁のライフル銃と1丁の散弾銃が無造作に立てかけてあった。
その軒先には絶命した猪がぶら下がっている。
大きなフックと黒鉄の鎖によってしっかりと吊り下げられていた。
すぐ隣の作業台の上では、解体途中のヒグマの子どもが無残な姿を晒している。
「石束の町の発展に」
「俺たちの友情に」
4人の男たちは缶ビールの底を宙で合わせて、黄金色の液体を喉に流しこんだ。



