ヒトサシユビの森
月のない深い夜。
笹良橋の上に、室町はいた。
しっかりと目を凝らさないと、橋の欄干すら見えない夜の底である。
橋の下を流れるかすかな水音が、室町に笹良川の存在を感じさせた。
光るものといえば、雲間で瞬く木星と、県道に立つ点滅信号のみ。
黄色に明滅する信号は、室町が立つ場所から遠く離れており、光源になり得ない。
室町は県警のマスコット人形を持つ手を、そっと橋の外に伸ばした。
その手と人形は、闇に紛れて色彩を失い、姿を隠した。
一台の車が県道を、ハイビームで走行していた。
緩やかなカーブを曲がり、笹良橋に迫る。
車のハイビームが一瞬、笹良橋を舐めるようにかすめた。
室町は人形を宙に掲げたまま、走行する車を目で追った。
瞬時に通り過ぎる前照灯の光を確認した後、室町は無線を開いた。
「江守、どうだった? 見えた?」
「あぁ、それが・・・」
江守は言葉を濁した。
江守は橋を渡った対岸に立っていた。
釣り人が、橋の上に人影を見たという地点である。
「見えたの、人形?」
「それが、あまりの一瞬で・・・」
「わからなかった、と?」
「はい」
ハイビームを通常に戻した車が、室町のいる笹良橋に近づいてきた。
安田の運転するパトカーだった。
笹良橋の中ほどに佇む室町に、安田と江守が合流した。
室町が呟くように言った。
「月明りがあれば、見えたかもしれない。でもあの日は今夜と同じ・・・」
室町はふたりに言った。
「もう一度、実験しましょう」



