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分裂犯罪

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 最初に、あいさつ文とお礼が書かれている。その時点で、送った人は、信用するに値すると思ったことだろう。
 さらに、批評を見る。
 そこに書かれていることを見ると、びっくりしたのだが、
「まずは、その作品の欠点から書かれている」
 ということだ。
 ただ、それも、厳しいことは書いているが、決してけなしているわけでも、評価が下がる書き方をしているわけではない。あくまでも、気を付ける部分ということで書かれている。
 そして、
「そんなマイナス部分もあるが、それを補って余りある」
 となかりに、そこから先は、マシンガンのように、褒めちぎるのだ。
 つまり、
「一度落としておいて、そこから引き上げる」
 というのだから、その誉め言葉は、勢いがあればあるほど、心に響き、さらには、信憑性というものをこれでもかとばかりに植え付けているということになるのだ。
 そうなると、最後に担当が、
「何かご質問があれば、こちらまでご連絡ください」
 ということで、担当の携帯電話の番号が書かれていれば、当然、気持ち的には有頂天になっているのだから、かけたくなるのも当たり前というものだ。
 そこで、電話を掛けてみると、相手は、
「わざわざありがとうございます」
 とくるわけだ。
「いえいえ、素晴らしい批評をこちらこそありがとうございます」
 といって、そこからの会話になるわけだが、そこから先は、相手は褒めることしかしない。
「あなたの作品は、この間の直木賞よりもいいですよ」
 と褒めちぎるのだ。
 しかし、有頂天になっているので、本人は気づかないが、実は、
「作品に対しての具体的な評価」
 というものを、何もしていないということである。
 つまりは、
「電話がかかってきた相手がどんな小説を書いた人なのか?」
 ということを、分かっていないということだ。
「相手は、有頂天でかけてきているので、褒められれば、どんな言葉にだって疑いを向けない」
 ということが分かっての、一種の、
「確信犯」
 ということである。
 かけている方とすれば、
「自分のことをこれ以上ないくらいに評価してくれた人と話ができている」
 というだけで悦びである。
 なぜかというと、
「これまで、まともな批評を受けたことがない」
 ということが一番大きい。
 中には、文芸サークルに入っていて、サークル仲間に見てもらっての批評というのはあっただろう。
 しかし、少なくとも、自分であれば、
「厳しいことは言われたくない」
 という思いから、
「できれば、厳しい言い方はしないようにしたい」
 ということで、少しでもオブラートに包んで本心を書かないというくせがついている。
 だから、相手もそうだろうと思えば、他人の批評を心底信じられないと思うのだ。
 それをしてもらおうと思えば、それこそ、
「有料のところで、添削を受けるしかない」
 ということになる。
 これが、思うの他高かったりする。それこそ、
「通信教育のような、作家養成講座」
 というものである。
 これだと、
「カネがかからない趣味」
 として始めた意味がないではないかと思う人も多いはずだ。
 せっかく、始めた趣味だから、できれば、続けたいという思いと、
「プロになりたい」
 という思いとが、ジレンマにそれまではなっていたということである。
 そのジレンマを解決してくれたのが、この
「自費出版社系の出現」
 ということであろう。
 彼らは、そんな作家になりたいという願望を持った人のジレンマを巧みにくすぐってくるのである。それを作家たちはわかっていない。だから、原稿を送る人が増えてくるということだ。
 やはり、
「ブラックやグレーな部分というものがあって、そこをこじ開けてくれる」
 という存在があれば、そこにゆだねたくなるという気持ちはわからないでもない。
 それを巧みに利用するこのやり方は、表から見ると、
「これほど画期的なやり方はないだろう」
 ということだ。
 これは、他の出版社から見ても、
「ただのライバル出現」
 というわけでもなく、ある意味、
「歓迎すべき出版社」
 といってもいいかもしれない。
 というのは、それまで、鳴かず飛ばずでいる、自分たちが発掘した人たちの行く末を見てくれるということで、ありがたいと思ったのかもしれない。
 さらに、
「捨ててしまうとはいえ、持ち込み訪問者に取られる時間もバカにならない」
 と思っていたので、それが、なくなったことは、出版社としても、余計な仕事をしないで済むという意味ではよかったと思ったに違いない。
 さらには、
「どうせ、素人の作品を本にするんだろうから、売れる見込みはないんだろうな」
 という、出版社からの目で、
「ライバルにもならないだろう」
 と思っていることだろう。
 そういう意味では、これらの出版社が、詐欺だということを最初に看破したのは、
「他の有名出版社たち」
 だったのかもしれない。
 彼らは、出版社の目から、
「どうせ長くはないだろう」
 ということも分かっていたはずだ。
 しかも、時代的には、
「出版不況」
 といわれている時代で、
「本や、音楽CDなどは、インターネットで購入できる」
 という時代に入っていた。
 今でこそ、
「活字の本やCDなどの媒体を使わずとも、スマホで、作品を直接ダウンロードしたり、配信から購入する」
 という方法がある。
 その頃は、
「本やCDを、宅配システムで本屋に行かずとも、購入できる」
 というシステムが出来上がっていたということであった。
 だから、実際には、
「店舗での購入」
 というものが減ってきていて、実際に、
「本屋や、CDショップというものを廃業する」
 というところもどんどん減ってきている。
 それこそ、
「商業施設や、百貨店などには必ずあった店舗が、どんどんなくなってきている」
 ということになるのだ。
 そうなると、
「物理的に、トータルの本棚が減ってきている」
 ということになるわけで、そんな時代に、どんどん作家ばかりが増えてきて、本が溢れるということになれば、
「本を作っても、売る場所がない」
 ということになるわけである。
 それを考えると、
「作った本は、どこに行くのだろう?」
 ということである。
 つまりは、
「自費出版社の経営方法というのは、自転車操業だ」
 ということである。
 つまり、
「行き当たりばったり」
 ということで、まずは、
「本を出したい」
 という人が増えなければ、すぐに成り立たなくなるという、まるで、
「もろ刃の剣」
 のような商法である。
 だから、本来であれば、
「ある程度儲けた段階で、うまく引き上げる」
 というのが、一番うまいやり方なのかもしれない。
 つまりは、
「あくまでも、一大ブーム」
 という考えで、ブームの動向を冷静に見て下り坂になる前に、引き上げるということをしないと、雪崩に巻き込まれるということは、分かっていることであろう。
 しかし、彼らとすれば、
「想像以上に成功した」
 ということかもしれない。
作品名:分裂犯罪 作家名:森本晃次