分裂犯罪
「直江家というのは、兼続が養子になってからの直江家」
ということである。
それまでにも、
「上杉謙信の時代での、直江家というのは、有力な武将家ということで有名ではあるが、景勝に代わってからの家老としての立場は、明らかに兼続から変わった」
ということを認識していただきたいということである。
だから、
「新直江家の当主」
ということでの、
「直江兼続の研究」
というのは、遠藤家にとっては、
「当然の選択だった」
ということになるのだ。
そして、その研究が功を奏したのか、それ以降の歴史の中で、研究成果が随所に出てくるのであった。
もっとも、そのことが立証されたのは、明治以降ということで、その頃になって、いろいろな、
「歴史の事実というものも分かってきた」
ということであろう。
特に、封建時代というのは、
「以前の支配者の歴史を改ざんする」
という傾向にあった。
実際に、時代が、
「封建制度から、中央集権国家に代わる」
という大変革を迎えると、それまでの、
「武士の歴史」
というものの歴史に蓋をして、新しい政権を根付かせることが先決だということになるのであった。
そんな時代において、
「戦国時代というのは、それでも、研究材料になりうる」
ということから、研究することをとがめることがなかったおかげで、いち早い研究成果が出たことで、その結果を書籍化するということも多かった。
そのおかげで、遠藤家も、さらなる勉強に拍車がかかったということになるのであろう。
だから。
「上杉家の研究」
というものに余念がないということで、実際に、
「新潟県や福島県」
というところまでいって、長年滞在し、研究したという代もあったという。
それも、領主である、
「向田家の当主が、その時間を与えてくれた」
ということで、その時の遠藤家の人間とすれば、後ろ髪を少しは引かれるという気持ちになりながら、それでも、
「投手の命令」
ということで、堂々といけることに、感謝をした。
それだけの器のある当時の当主なので、
「この人なら、自分がいなくても、なんとかしてくれる」
という思いもあった。
しかも、
「この当主であれば、もし危ないと思えば、躊躇なく自分を呼び戻すことを選択するだろう」
という思いもあったのだ。
というのは、
「彼には、先見の明がある」
というのは、その時の遠藤家の人も分かっていて、それだけに、
「この土地の人たちが、領主のいうことを嫌がらずに聞いてくれる」
ということが分かっていたもの大きい。
少なくとも、
「人物としては、慕われる領主だった」
ということである。
実際に、その時の、
「向田家の村」
というのは、大きな問題はまずなかった。
「天下泰平だった」
といってもいい。
そもそも、江戸時代における、
「天下泰平」
という時代は、
「抑えつけられたもの」
というイメージが強い。
「武家や大名が謀反を起こさないように、改易政策を行ったり、経済的に謀反を起こさないように、金を使わせるという、参勤交代であったり、天下普請などという、あからさまなことを行った」
ということからも、それが言えるということである。
明治政府も、実際には、その傾向にあるが、実際には、国家の君主としては、
「万世一系である天皇が君主だ」
ということになれば、
「日本国民であれば、まずは、天皇に逆らうということはないというだけの、絶対権力を後ろ盾においていることで、可能となるやり方だ」
何といっても、
「当時の日本というのは、立憲君主国だ」
ということだ。
つまりは、
「憲法に基づいて、天皇という君主の元に、収められている国だ」
ということだ。
あの、
「武士の時代」
ということで、
「身分制度においても、武士が最高位」
ということで言われている時代であるが、それでも、その武家政治の中心である、
「徳川幕府」
というのは、
「あくまでも、朝廷から政治を行う権利をいただいている」
ということをわきまえていて、基本的には、
「朝廷にお伺いを立てている」
ということで、形式的な地位というのは、
「朝廷というものが、君臨する国」
ということになっているのだ。
だから、将軍というのは、
「あくまでも、武家の棟梁」
というだけのことで、少なくとも、
「国家元首ではない」
ということになる。
当然、国家元首というのは、天皇ということで、この歴史は、
「有史から、大日本帝国が滅亡する時代まで続く」
といえるのだ。
つまりは、
「日本国憲法」
というものによって、
「天皇は、国民の象徴」
ということになり、国家元首でも、政府や国家機関に対して、何ら影響力を持たないということになったのだ。
実際に、それまでは、
「統治はしない」
ということはあっても、
「君臨する存在だった」
ということだったのだ。
だから、今の日本は、
「立憲君主国」
というものではなく、
「立憲民主の国」
ということになるのだ。
憲法に基づいた、
「民主国家」
ということである。
もっとも、民主国家というものが、すべていいということではない。
そもそも、民主国家というものには、たくさんの欠点がある。
大きな点としては、
「自由、平等、博愛」
というものが、民主主義の原点といわれてきたが、普通に考えると、
「自由と平等というのは、両立できない」
ということが、実際に政治をすると分かってくるということである。
「どちらかを優先しないと国家が成り立たない」
ということになると、民主主義と呼ばれる国家は、
「自由というものを優先する」
ということになるのだ。
それは、
「自由貿易」
であったり、
「国民の権利を束縛することなく、自由にさせる」
ということからであった。
しかし、そうなると、どうしても、平等というものが犠牲になるということである。
それが、
「多数決の原則」
ということから、
「数の原理」
で、少数派というものが抑えつけられる社会ということになったり、
「貧富の差」
ということから、差別問題や、さらには、せっかく万人に認められるべき自由というのも、一部で迫害されるということになることもあるだろう。
そして、
「一部の特権階級の人間だけが、得をする社会」
ということになり、ますます、強者と弱者の差がハッキリと現れてくるということになるであろう。
それを考えると、
「民主主義にも限界」
というものがあるというものであった。
そこで考えられたのが、
「社会主義」
という考え方である。
こちらは、
「平等を最優先とする」
という考えで、
「企業の国営化を勧めたり、給料を実力で決めるということをせず、一律にする」
ということでの、平等を推し進めるという考え方である。
これは、一見素晴らしい世界であり、理想の世界のようにも見えるということであるが、実際には、欠点も多い。
平等であれば、確かに、
「貧富の差」



