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質より量

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 ということの聞き取りだったのだ。
 ママさんとしても、
「親友のこと」
 ということで、
「必要以上のことは絶対に言わない」
 という気持ちだけではなく、
「知っていても、何も言わない」
 と心に決めていた。
 ということは、ママは、
「何かを知っている」
 ということであり、やはり、
「母親には誰かいたのであった」
 それを考えると、
「その相手は独身なのかどうか?」
 ということで、
「不倫かどうか?」
 ということが問題になる。
 これは、あくまでも、
「別れ話のもつれ」
 と考えると、
「不倫というものであれば、余計な感情から、自己防衛に走る」
 ということで、不意に殺してしまうということもあるだろう。
 ただ、その場合に、
「偽装工作」
 しかも、
「強盗を装う」
 というのは、あまりにも、リスクが大きいのではないだろうか?
 ただ、これが、不倫ということで、
「殺人犯という問題だけではなく、夫婦間の問題も絡んでくる」
 ということになると、
「自分が絶対に犯人ではない」
 と思わせる必要がある。
 つまり、
「偽装工作をしてでも、自分には関係ない」
 と思わせる必要があるということであろう。
 だから、犯人が、
「不倫している」
 ということであれば、
「誤って殺すこともある」
 といえる。
 それだけ、感情が高ぶってしまって、思わず力が入ることで、
「殺すつもりはなかった」
 ということであっても、力が入ってしまう分、余計に相手はよけることもできず、事故のような形で命を失うということになるだろう。
 しかし、問題は、
「遺棄して逃げた」
 ということである。
 しかも、
「強盗を装って」
 ということである。
 もちろん、まだ、
「金銭目的の強盗」
 という線も捨てきれないが、
「偽装」
 ということであれば、
「遺棄して逃げた」
 というのは、
「もし、そのまま死んでいた」
 ということであれば、いわゆる、
「救護義務違反」
 ということであり、
「もし、傷害致死」
 ということであれば、へたをすれば、普通の殺人よりも、非難が大きいかも知れない。
 なぜなら、
「助けられる命を放っておくということで命を奪われる」
 ということになるのだから、
「傷害致死というのは許されることではない。なぜなら、殺人罪よりも、軽いからである」
 ということだ。
 ただ、これが、
「あの場で救急車を呼んでいれば死なずに済んだ」
 という鑑識結果が出ていれば、裁判では、
「殺人罪」
 というものと変わらない状況になるといえるのではないだろうか?
 そういう意味で、
「ひき逃げ」
 というのは、
「殺人罪にも値する」
 ということになるのだ。

                 母親憎し

 今から10年くらい前のことであろうか、母親を殺された少年がいた
 その少年は、誰にも話をしているわけではなかったが、
「子供の頃は母親が嫌いだった」
 ということである。
 というのは、そもそも、父親が厳しい人で、それを奥さんにも強いていたということで、今のような、
「虐待」
 というわけではないが、実に細かいところがあったということであった。
 その少年は、名前を、中条真一という。
 真一少年は、子供の頃、よく
「忘れ物をしていた」
 ということで、よく母親から、叱られていた。
 本人は、
「忘れっぽい」
 という意識はないのだという。
 しかし、
「小学生の子供が、忘れっぽい」
 などというと、それこそ、
「言い訳でしかない」
 として、大人は討て合わないだろう。
 特に、
「物忘れ」
 などというと、
「忘れてしまった」
 といっても、信じてはくれず、
「たるんでいるからだ」
 といわれるだけであった。
 特にひどかったのは、母親からの仕打ちとして、
「文房具を一つでも忘れてくると、學校まで取りに行かされた」
 ということであった。
「鉛筆一本」
「消しゴム一個」
 を忘れてきたというだけで、
「学校まで取りに行ってらっしゃい」
 と、
「取ってくるまで、帰ってくるんじゃない」
 とまで言って、取りに生かされたものだった。
「物忘れがひどい」
 ということは、本当に、
「たるんでいるから」
 と思ったのか、
「厳しい躾」
 というものを子供に課すということになるのであろう。
 まわりからは、
「それはひどい」
 ということになるのだろうが、
「他の家の子はこんなことはない」
 といって逆らえば、
「よそはよそ、うちはうち」
 といって、逆に、
「他の家との比較を、みじめに思わせる」
 ということになり、余計に、
「母親を意固地にする」
 ということになるのだ。
 それこそ、
「負のスパイラル」
 というもので、母親への口答えは、
「それだけ、言い訳にしか過ぎない」
 と思わせるのであった。
「まるで、マトリョシカ」
 のように、どんどん小さくなっていくことに、
「永遠」
 という感覚を与え、結果、
「限りなくゼロに近い」
 という状況を作り出すということになるだろう。
その、
「負のスパイラル」
 というのは、
「両親の間でも繰り広げられる」
 というもので、
「親子三人が、まるで、三すくみのような関係に思えてならない」
 ということであった。
「実際に表向きは、子供が両親に弱い」
 という風に見えるが、実際には、
「子供は、父親に強く。父親は、母親に強い。そして、母親は息子に強い」
 という関係であれば、ある意味、
「うまくいく家庭」
 といってもいいだろう。
 しかし、これが、
「昭和までの家父長制度」
 というものであれば、
「父親の権力は絶対」
 ということで、母親にも息子にも、その力は誰にも邪魔のできないものということになるだろう。
 しかし、実際には、
「父親が、子供に逆らえない」
 という瞬間があるという。
 それがいつなのか分からないが、父親は、子供の成長を感じた時、
「いずれは、子供にはかなわない」
 と感じるのだ。
 それを感じた時、
「三すくみの関係」
 というのになることで、その時から、
「家族はうまくいく」
 といえるだろう。
 しかし、今の世の中、そんなにうまくいっている家は、ごく少数だといってもいい。
「なぜ、そのようなことになるのか?」
 というのは、
「子供が、成長する前に、親子関係が崩壊するからだ」
 といえるだろう。
 その理由とすれば、
「子供が、大人になり切る前に、子供の方が、我慢できなくなる」
 という場合と、
「親が子供に対して、独占欲から、子供が成長する前に、親子の縁を切る」
 というようなわがままを行った場合ということになるだろう。
「そもそも、血は水よりも濃い」
 といわれるが、
「それを信じるがゆえの、家父長制度」
 であったり、
「家を存続させる」
 などということでの、それこそ、
「昭和までの古臭い歴史」
 ということで、勝手な押し付けというものをするからであった。
 だから、親の中には、
「昭和の頃の教育が意外と今の時代では有効なのかも知れない」
 ということで、
「苛め」
 ではなく、
「躾」
作品名:質より量 作家名:森本晃次