夢の連鎖の悪夢
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、説定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年9月時点のものです。お話の中には、事実に基づいた事件について書いていることもあれば、政治的意見も述べていますが、どちらも、「皆さんの代弁」というつもりで書いております。今回の事件も、「どこかで聞いたような」ということを思われるかも知れませんが、あくまでもフィクションだということをご了承ください。今回は少し、思想的に寄ったところがあるかも知れませんが、それも一つの考え方ということで、いやなら見ないことをお勧めします。(結構今までにもありましたね)
プロローグ
「親の夢を子供に託す」
ということは、よく昔から言われたものだ。
「親の叶えたかった夢を子供に託す」
ということは、
「親だからこそ許される」
ということになるのだろうか?
特に昭和の頃などには多かったかも知れない。
戦後になって、日本という国が変わったことで、そういう発想もあったことだろう。
なんといっても、
「大日本帝国」
という時代は、完全に、
「国家主義」
というもので、
「個人の自由」
というものが、ある程度制限されていたといってもいいだろう。
あくまでも、最優先順位は、
「国家」
というものであり、
「国家のためには、個人の自由が制限される」
というのは、当たり前のことであった。
特に、昭和に入ってからの、カオスな時代というと、大陸との関係が悪化してきて、さらに、
「世界的な大恐慌」
であったり、
「第一次大戦」
というものがもたらした、
「ベルサイユ体制の失敗」
というもののせいで、世界は、混沌とした状態になってきた。
それぞれの国家は、またしても、一触即発の状態となり、さらに、
「ドイツやイタリアによる、ファシスト化」
ということから、
「自己民族の優位性」
という考え方が起こり、
「まわりの国への侵略」
というものが始まったことで、
「一触即発」
ということになった。
もっとも、
「侵略行為」
というものも、実際には、
「自国が侵略を受ける前の、先制攻撃」
と捉えられなくもない。
そのせいもあってか、
「日本という国も、軍部の強化」
というものが行われ、
「大陸への進出」
となったのだ。
元々、大陸においては、
「欧米列強による侵略」
が行われ、完全に、
「食いつぶされる」
という形になっていた。
そのため、日本という国が欧米列強に対抗しようとすると、どうしても、
「軍事侵攻」
というものが必要になり、一歩間違えると、最初に権益を持っていた欧米列強に、恨みを買うということになってしまう。
軋轢が生まれてきて、先進国から弾かれる可能性があったのだが、日本という国は、致命的に、
「資源に乏しい」
ということが、結局、日本という国を追い詰めることになり、最悪の結果として、欧米列強から、
「経済制裁」
というものを受けることで、完全に追い詰められ、結果、
「かの戦争」
に巻き込まれることになったのだ。
結果、最初から日本軍も分かっていたことではあったが、
「資源が乏しいということで、長期戦に持ち込まれると、勝ち目はない」
ということであった。
ただ、列強の誤算とすれば、
「他の国であれば、とっくの昔に降伏するであろうと思われる状態になっても、日本は決して降伏しない」
ということだっただろう。
敵国としても、
「最終的には勝つ」
と分かっていても、それまでに、自国の兵や兵器を、
「どれだけ失うか?」
ということであった。
へたをすれば、
「反戦運動になりかねない」
という状況でもあったが、当時はなんといっても、
「世界大戦」
ここで辞めるわけにはいかないということで、
「徹底的な破壊」
という最悪の結果で、世界大戦が終わったということであった。
実際に、
「戦争がドロ沼化し、自国被害がひどい状態になったことで、反戦運動が世界中で騒がれた」
というのが、
「ベトナム戦争」
というものであった。
実際に、
「代理戦争」
とも言われ、被害を受けていたのは、
「現地一般市民」
であり、自国の国民からすれば、
「戦争をしなければいけないほどの敵対国でもない」
ということだったのだ。
ただ、それが、
「戦争」
というものであり、いつからか、
「大量虐殺」
さらには、
「無差別爆撃」
などという時代になってきたのだ。
虐殺行為というのは、昔から戦争ではあったことだが、今の時代のように、
「マスゴミによる報道」
ということで、全世界に、メディア発信されるようになると、その残虐性の問題が巻き起こるのは当たり前のことだろう。
本来であれば、それが、
「戦争への抑止」
となればいいのだろうが、そんなことになるわけもなく、今でも、世界各国で、戦争が行われているということであった。
どうしても、
「世界の覇者」
として君臨したいという国があるからだろうか?
そもそも、
「大日本帝国」
というのは、世界からあまりよくは思われていないが、別に、
「世界の覇権を握ろう」
と考えていたわけではない。
実際には、
「アジアの盟主」
ということで、
「共栄による秩序を作り上げよう」
という、
「大東亜共栄圏」
というものを考えていたのだ。
これは、今でもよくある、
「それぞれの地域の安全保障であったり、経済における提携」
などというものと、同じ考えではないだろうか?
ただ、それが、東アジアに、
「植民地」
なるものを持っている国としては、
「実に鬱陶しい」
と思われていることだろう。
もっとも、この
「大東亜共栄圏」
というのは、
「欧米列強よりの植民地支配から脱却し、東アジアに、地域的な秩序というものをもたらすということを、日本が中心になって行う」
ということだったので、
「東アジアの解放」
が目的であり、実際に、日本が侵攻し、滅ぼしたのは、
「植民地政府」
ということで、日本は、
「新秩序の建設」
ということを目的として、アジアを支配していたのに、戦後になって、なぜ、
「日本が侵略した」
ということにならないといけないのだろうか?
それこそ、
「戦争で敗戦した日本」
というものに、すべての責任を押し付けて、
「戦後のアジアの秩序を作ろう」
という作戦ではないだろうか?
確かに、日本における東アジア支配というものが、ひどかった部分もあるかも知れないが、
プロローグ
「親の夢を子供に託す」
ということは、よく昔から言われたものだ。
「親の叶えたかった夢を子供に託す」
ということは、
「親だからこそ許される」
ということになるのだろうか?
特に昭和の頃などには多かったかも知れない。
戦後になって、日本という国が変わったことで、そういう発想もあったことだろう。
なんといっても、
「大日本帝国」
という時代は、完全に、
「国家主義」
というもので、
「個人の自由」
というものが、ある程度制限されていたといってもいいだろう。
あくまでも、最優先順位は、
「国家」
というものであり、
「国家のためには、個人の自由が制限される」
というのは、当たり前のことであった。
特に、昭和に入ってからの、カオスな時代というと、大陸との関係が悪化してきて、さらに、
「世界的な大恐慌」
であったり、
「第一次大戦」
というものがもたらした、
「ベルサイユ体制の失敗」
というもののせいで、世界は、混沌とした状態になってきた。
それぞれの国家は、またしても、一触即発の状態となり、さらに、
「ドイツやイタリアによる、ファシスト化」
ということから、
「自己民族の優位性」
という考え方が起こり、
「まわりの国への侵略」
というものが始まったことで、
「一触即発」
ということになった。
もっとも、
「侵略行為」
というものも、実際には、
「自国が侵略を受ける前の、先制攻撃」
と捉えられなくもない。
そのせいもあってか、
「日本という国も、軍部の強化」
というものが行われ、
「大陸への進出」
となったのだ。
元々、大陸においては、
「欧米列強による侵略」
が行われ、完全に、
「食いつぶされる」
という形になっていた。
そのため、日本という国が欧米列強に対抗しようとすると、どうしても、
「軍事侵攻」
というものが必要になり、一歩間違えると、最初に権益を持っていた欧米列強に、恨みを買うということになってしまう。
軋轢が生まれてきて、先進国から弾かれる可能性があったのだが、日本という国は、致命的に、
「資源に乏しい」
ということが、結局、日本という国を追い詰めることになり、最悪の結果として、欧米列強から、
「経済制裁」
というものを受けることで、完全に追い詰められ、結果、
「かの戦争」
に巻き込まれることになったのだ。
結果、最初から日本軍も分かっていたことではあったが、
「資源が乏しいということで、長期戦に持ち込まれると、勝ち目はない」
ということであった。
ただ、列強の誤算とすれば、
「他の国であれば、とっくの昔に降伏するであろうと思われる状態になっても、日本は決して降伏しない」
ということだっただろう。
敵国としても、
「最終的には勝つ」
と分かっていても、それまでに、自国の兵や兵器を、
「どれだけ失うか?」
ということであった。
へたをすれば、
「反戦運動になりかねない」
という状況でもあったが、当時はなんといっても、
「世界大戦」
ここで辞めるわけにはいかないということで、
「徹底的な破壊」
という最悪の結果で、世界大戦が終わったということであった。
実際に、
「戦争がドロ沼化し、自国被害がひどい状態になったことで、反戦運動が世界中で騒がれた」
というのが、
「ベトナム戦争」
というものであった。
実際に、
「代理戦争」
とも言われ、被害を受けていたのは、
「現地一般市民」
であり、自国の国民からすれば、
「戦争をしなければいけないほどの敵対国でもない」
ということだったのだ。
ただ、それが、
「戦争」
というものであり、いつからか、
「大量虐殺」
さらには、
「無差別爆撃」
などという時代になってきたのだ。
虐殺行為というのは、昔から戦争ではあったことだが、今の時代のように、
「マスゴミによる報道」
ということで、全世界に、メディア発信されるようになると、その残虐性の問題が巻き起こるのは当たり前のことだろう。
本来であれば、それが、
「戦争への抑止」
となればいいのだろうが、そんなことになるわけもなく、今でも、世界各国で、戦争が行われているということであった。
どうしても、
「世界の覇者」
として君臨したいという国があるからだろうか?
そもそも、
「大日本帝国」
というのは、世界からあまりよくは思われていないが、別に、
「世界の覇権を握ろう」
と考えていたわけではない。
実際には、
「アジアの盟主」
ということで、
「共栄による秩序を作り上げよう」
という、
「大東亜共栄圏」
というものを考えていたのだ。
これは、今でもよくある、
「それぞれの地域の安全保障であったり、経済における提携」
などというものと、同じ考えではないだろうか?
ただ、それが、東アジアに、
「植民地」
なるものを持っている国としては、
「実に鬱陶しい」
と思われていることだろう。
もっとも、この
「大東亜共栄圏」
というのは、
「欧米列強よりの植民地支配から脱却し、東アジアに、地域的な秩序というものをもたらすということを、日本が中心になって行う」
ということだったので、
「東アジアの解放」
が目的であり、実際に、日本が侵攻し、滅ぼしたのは、
「植民地政府」
ということで、日本は、
「新秩序の建設」
ということを目的として、アジアを支配していたのに、戦後になって、なぜ、
「日本が侵略した」
ということにならないといけないのだろうか?
それこそ、
「戦争で敗戦した日本」
というものに、すべての責任を押し付けて、
「戦後のアジアの秩序を作ろう」
という作戦ではないだろうか?
確かに、日本における東アジア支配というものが、ひどかった部分もあるかも知れないが、



