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噛ませ犬

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この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、説定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年8月時点のものです。お話の中には、事実に基づいた事件について書いていることもあれば、政治的意見も述べていますが、どちらも、「皆さんの代弁」というつもりで書いております。今回の事件も、「どこかで聞いたような」ということを思われるかも知れませんが、あくまでもフィクションだということをご了承ください。

                 プロローグ

「人間というのは、どうしても、嫉妬したり、猜疑心というものが強かったりするものだ」
 といわれるが、まさにその通りであろう。
 特に、誰かを好きになったりすると、その人のことが忘れられなくなり、他のことが手につかなくなったりするというものだ。
 確かに、誰かを好きになる感覚というのは、誰にでもあり、それは、
「思春期から始まる」
 といってもいいだろう。
 思春期というと、大体が、
「中学生になったくらいから」
 といってもいい。
 なぜなら、身体の発育と、心の発育が、リンクしているからだといってもいいだろう。
 この場合は、リンクというよりも、
「シンクロしている」
 といった方がいいかも知れない。
 まるで、
「音叉などと使った、共鳴振動に似ている」
 といってもいいだろう。
「共鳴振動」
 というのは、まず、
「波長には、リズムがある」
 というのが基本になっている。
「音波」
 と呼ばれるように、
「音というのが、振動することで、その存在を伝える」
 というものだからである。
 振動によって音が伝わることで、気持ちも伝わってくる。それが、力となることで、
「共鳴することによって、振動が力になる」
 というのが、共鳴振動だといえるのではないだろうか?
 それは、人間の中にある
「心」
 にも言えることではないだろうか?
 基本的には、
「他人が何を考えているかということは、分からない」
 ということであるが、それは、あくまでも、
「すべてが分かる」
 ということではないことから、
「分からない」
 といっているようなものであり、少しでも分かっている状態では、相手のことを分かるとは言わないということであれば、
「まず、他人のことが分かる」
 という人はいないといってもいいだろう。
 そもそも、
「自分のことだって、全部分かるわけではない」
 ということで、それこそ、
「他人のことをすべて分かる」
 というのであれば、それこそ、
「超能力者だ」
 ということになるであろう。
 しかし、人間というのは、そんなに
「完璧でなければいけない」
 というものであろうか?
 少しでも分かり合えるのであれば、そこから、お互いに、
「徐々に分かり合っていこう」
 とお互いに考えることで、
「気持ちが通じ合う」
 という気持ちになるのではないだろうか?
 そもそもが他人なのだから、
「当たり前のことである」
 といえる。
「肉親と呼ばれる家族」
 親兄弟であっても、どこまで分かっているのか、正直難しい。
 もっとも、
「親兄弟だから、余計に反発する」
 ということから、
「親兄弟にしか分からない気持ちがある」
 というのは、本当なのではないだろうか。
 それは、まるで、磁石における、
「同一極が反発しあう」
 という状況と似ているのかも知れない。
 お互いに分かっているだけに、反面教師のような感覚が存在することで、他の人との間では決して生まれない何かが生まれる。
 それを、
「嫉妬」
 という言葉で片付けていいものなのか難しいところであるが、逆に、嫉妬という感情は、
「肉親だからこそ出てきた感情なのかも知れない」
 と思うのだ。
 元々は、
「肉親の間だけに存在していたものが、次第に人間の進化の過程で、それが、他人との間にも芽生えてきた」
 ということから、それまで、肉親と他人との間に、分け隔てというものがなかったとして、この
「嫉妬心」
 や、
「猜疑心」
 などというものが芽生えてくることで、
「肉親というものは、人間関係の中で特別なものだ」
 という意識になったのかも知れない。
 それが、
「血族」
 という考えになるのであって、婚姻や性においても、
「近親相姦」
 などという特別な関係を、忌まわしいと伝えられるようになったのかも知れない。
 法律でも、
「三親等以内の血族による結婚は許されない」
 ということになっていて、そもそも、
「なぜ、三親等以内なのか?」
 ということも、きちんとしたエビデンスがあるのだろうか?
 世界に例を見ないといわれる、日本における、
「万世一系の皇族」
 というものであっても、昔には、
「近親婚」
 というものがあったりしたではないか?
 その時代には、
「血族を絶やすことと、近親婚を秤に架けると、血族を守ることの方が重要だった」
 ということになるのかも知れない。
 人間には、恋愛感情をつかさどるものの正対として、
「嫉妬心」
 であったり、
「猜疑心」
 というものがあるが、別の角度から見ると、
「羞恥心」
 であったり、
「恥辱」
 という感覚もあったりする。
 つまりは、
「裸を見られると恥ずかしい」
 ということであったり、
「性行為というのは、子供に見せてはいけないもの」
 などといわれている。
 思春期になれば、
「性に対しての感情が強くなる」
 それは、身体が反応するからで、男女ともに、
「子供の身体から、大人の身体になってくる」
 ということだからだ。
 それは、
「乳歯が取れて、永久歯が生えてくる」
 というのと同じことで、
「動物や昆虫でも、大人になるために、幼虫からさなぎになり、成虫になる」
 という、成長過程において、身体が変化するというのは、別に不思議なことでも何でもないといえる。
 しかし、
「人間には、他の動物にない感情というものがある」
 ということで、身体の成長が、精神の成長に結びついていくのだ。
 その過程において、
「羞恥心」
 などのような、
「恥じらいの感情」
 というものが生まれ、それと同時に、
「嫉妬心」
 も芽生えてくるのだ。
 同時期に、性というものに対して芽生えてくるというものなので、この二つが、
「同一の感情から生まれる」
 ということなのかは、正直分からない。
 研究はされているとは思うが、一般の人は、そこまで考えることはない。
「思春期になれば、異性に興味を持ち、その人を好きになる」
 ということであり、
「好きになった人と、セックスをしてみたい」
作品名:噛ませ犬 作家名:森本晃次